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テーマ:私の読書(24)
カテゴリ:本
日本語の科学が世界を変える 松尾義之 2015年
語彙、論理表現力、外国語との照応性、拡張柔軟性が、日本語は実に富んでいるらしい。 日本語にはない関係代名詞によるうんざりする長文が、論理的表現であるかのように思っていたが、論理表現は、英語も日本語もかわらないもので、関係代名詞の論理を日本語にするときは、接続詞で置き換えればよいそうだ。 並列、従属、逆説が、「あるいは」、「したがって」、「しかし」などによってきれいな論理的文章にできるそうだ。 「私は、現在は仏教の僧侶をしている古い友人と横浜駅であった。」と英語のように訳すのではなく、 「私は、横浜駅で古い友人と会った。その男は今、僧侶をしている」と分けて表現すれば、きれいな文章になるそうだ。翻訳家の努力とはこういう事であったのか。 杉田玄白による医学用語の熟語創作、西周による西洋概念の漢字化など、近代の日本語は、開化し、進歩したのがよくわかった。漢字の表現力と拡張性は実に進歩的であったと言う事のようだ。 日清戦争後、中国学生の日本留学ブームがあって、近代学術用語、法律用語が中国に輸入されたとは驚きだ。化学は、日本語が起源であると誤解されたほどであったらしい。 日本語で思考した科学でも、世界水準に到達可能であったそうだ。異言語の学識をとりいれると同時に、日本語で科学を思考することができる。それが、外国にはない新たな着想の源になっているのではないかと著者は考えているそうだ。 日本語での教育は正しい。小学校では、まず、国語を勉強するべきと。元阪大総長が「中身がないのに英語だけペラペラでもだめで、下手な英語も内容があれば人は聞く」と。 英語の準公用語化は馬鹿げていて、アイデンティティーのないグローバル化など百害あって一利なしと著者は言う。 ネイチャー記事でも「英語以外の文化圏にある科学知識」との表現がでてくることがあり、日本語で思考される科学が存するらしい。農工大の留学生の日本語が上達してきているのをみていると、日本語で科学する意味を理解し始めている留学生もいるような気がすると。 異文化がぶつかり合った思考ができると、殻を破った新たな着眼、着想がでてきて、進歩のきっかけになるようだ。日本語は、どうやら異文化をとりいれられる高水準言語でもあるらしい。 米欧の論文は、点数稼ぎのつまらないものが増えているそうだ。引用回数などの学績評価の点数ゲームがグローバル化しているそうだ。ネイチャーで殻を破るような面白い論文は、日本人と。 異文化の勉強をとどこおらせてはならないが、英語を公用語化してしまうと日本人の力を削ぐことになると懼れているそうだ。日産などでその答えが出るかもしれないので見守っているそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 22, 2015 02:57:52 PM
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