創作の価値を歪めるもの。
『CARNIVAL』与太話いいこと思い付いた。皆で頑張って、現実世界から“児童虐待”を無くしましょう。なんなら無くならなくてもいい。減るだけでいい。今苦しんでいる子供達の、たった一割に別の道が示されるだけでもいい。皆で頑張って減らしていって、出来ることなら将来的には根絶しよう。その為には、まずは「児童虐待は絶対に許されない」という確固たる共通認識というか、社会通念を形成しなければならない。何より先に、問題意識が持たれなければならない。これは差し迫った問題であり、決して我々に無関係な話では無いのだと。軽く調べただけでも、これほど憂慮すべき情報がある。(参考:Yahoo! - 2008年度児童虐待関連情報)現実を見て、大人の意識の大勢が変われば、現実も少しずつ変わっていくだろう。子供を守るのは大人の仕事であり、それが出来ないならばただのデカいガキである。そうやって、人間社会から児童虐待が殆ど消滅したと仮定しよう。その時初めて、『CARNIVAL』は現実の忌まわしい文脈から解放される。そうして、現実と何ら関わりの無い、純然たるフィクションとしてその価値を取り戻す。プレイヤーも、“リアル過ぎる”描写に称賛は送っても、それを現実と絡めて苦しみ悶える必要など無くなるだろう。何故ならその時、それはプレイヤーにとって単なる“優秀な創作”でしか無いのだから。「児童虐待」の部分を、「婦女暴行」に置き換えてもいい。とにかくそういった現実における残酷な物を漸減させ、いつかは無くそう。足りない頭で考えたのだが、フィクションからフィクション性を奪うのは、やはり歪んだ現実そのものであるのだと思う。その問題に於ける被害者や関係者にとっては、創作内で描かれる問題は「フィクション」ではなく「現実の写し身」に他ならないからだ。何が「フィクション」であるかは、人や文化によって異なる。俺が「児童虐待描写」に苦しむのも、「性暴力描写」を特に問題と思わないのも、全ては自分に関わる現実に即した個人的な認識に過ぎない。だから「エロゲの表現規制」とか、外国の国会に取り上げられたりとか、そういう下らない事態になる。それなら、槍玉に挙げられる原因となった諸問題自体を現実から根絶してしまえば、そういったツマランことも無くなり、世界も平和になる。当に一石二鳥じゃないか。思いついたまま書き殴ったので非常に纏まりが無くなったように思われるが、要するに何が言いたいかと言うと、現実に児童虐待が存在する限り、俺は『CARNIVAL』を純粋なフィクションとして楽しむことが難しい、ということ。だから俺は、意識を変えようと今思っている。悪いのは創作ではなく、その問題を解決出来ず黙過している現実の方。なら、現実の方を規制・改善するのが筋の通った対応と言うものだろう。エロゲを楽しむ為に、より良い社会を構築する努力をする義務がエロゲーマーにはある気がして来た。何より、それが自分達の好む業界の為になる筈だからだ。