431.陸軍大学校首席列伝(11)何らかの理由で陸軍をやめて、台湾総督府の警察官になった
(カモメ)大正十年には、すでに陸軍大学校において、“造反”が始まっていました。陸軍大学校の長州閥でない試験官たちが、密かに同盟して、長州出身者を締め出していたのですね。(ウツボ)今の俺たちも長州人だけど、当時は、長州出身であれば、派閥であろうとなかろうと、またどれほど成績が優れていようと、無条件で落第をつけ、陸大に入学させなかった。(カモメ)だから、大正十年から三年間は、ただ一人も長州出身の陸大学生はいないという現象が現れたのですね。(ウツボ)そうだね。ところで、武藤信義中将は、大正十一年十一月参謀次長に就任した。当時の参謀総長は上原勇作(うえはら・ゆうさく)元帥(宮崎・陸軍幼年学校・陸士旧三・フランスのフォンテンブロー砲工学校・参謀本部第四部長・工兵大佐・参謀本部第三部長・少将・陸軍砲工学校長・工兵監・欧州出張・第四軍参謀長・中将・男爵・第七師団長・第一四師団長・陸軍大臣・第三師団長・教育総監・大将・参謀総長・子爵・元帥)だった。(カモメ)シベリア作戦の功により、武藤信義中将は、この時期、功二級金鵄勲章、勲一等旭日大綬章を受章していますね。大正十四年五月軍事参議官。(ウツボ)大正十五年三月武藤中将は大将となり、東京警備司令官を経て七月関東軍司令官に就任した。昭和二年八月教育総監。(カモメ)昭和五年二月武藤大将は、参謀総長を辞退して金谷範三(かなや・はんぞう)大将(大分・陸士五・陸大一五恩賜・陸大教官・オーストリア大使館附武官・歩兵第五七連隊長・参謀本部作戦課長・少将・参謀本部第一部長・中将・第一八師団長・参謀本部次長・陸軍大学校長・朝鮮軍司令官・大将・参謀総長)に譲りました。(ウツボ)昭和七年八月関東軍司令官、満州国駐在特命全権大使、関東長官を兼務。満州に出発に先立って武藤大将は「今度のことは最後のご奉公であって、自分はもとより骨を満州に埋める決心で出かける」と述べている。(カモメ)昭和八年五月武藤信義大将は元帥に列せられました。だが、七月二十二日黄疸に罹って新京で倒れ、八月二十七日死去しました。享年六十五歳。正二位、勲一等旭日桐花大綬章、功一級金鵄勲章、男爵。(ウツボ)関連書籍として、「桜と剣 わが三代のグルメット」(光人社・村上兵衛)がある。【一四期首席・高塚彌少佐(陸士五)】(カモメ)次は、一四期首席の高塚疆(たかつか・きょう)少佐ですね。陸軍大学校一四期は明治三十年十二月二十八日入学、明治三十三年十二月二十日卒業。入学者数五十名、卒業者数三十九名。磯村年大将、井上幾太郎大将、田中国重大将、宇垣一成大将、石坂善次郎大将、石光真臣中将、小野寺重太郎中将、坂西利八郎中将らがいますね。(ウツボ)高塚疆少佐は、明治二十七年七月陸軍士官学校卒業(五期)。明治三十三年十二月陸軍大学校(一四期)を首席で卒業、歩兵大尉だった。卒業後フランスに留学。(カモメ)高塚疆の最終階級は歩兵少佐で、参謀本部部員で陸軍の軍歴は終わっています。陸軍をやめた理由は不明です。軍人は自分の意思で辞職や転職することができないから、なにかあったのでしょうね。(ウツボ)そうだね。明治三十三年に大尉で陸大を卒業しているので、その後日露戦争(明治三十七年~三十八年)で負傷したことなどが考えられるが、推測の域を出ないね。(カモメ)日露戦争当時は、進級年齢的にも少佐には昇進しているでしょうから。(ウツボ)ところが、いろいろ調べてみると、台湾総督府職員目録に、明治四十五年、「台湾総督府民生部警視・高塚疆」の記述がある。著書もあり、「空中之経営」(隆文堂)という書籍を明治四十二年に発刊している。(カモメ)この警視の高塚疆が、陸大十四期首席の高塚疆と同一人物という確証はないのですが、珍しい名前なので、ほぼ同一人物でしょうね。(ウツボ)そうだね。陸軍士官学校卒業時の年齢を二十一歳位とすると、明治四十五年には、三十九歳位だから、学歴、軍歴等を考慮すると、年齢的には警視になっていてもおかしくはないし、もっと若い年齢で警視になった可能性もある。(カモメ)高塚疆は、何らかの理由で陸軍をやめて、台湾総督府の警察官になったのでしょうね。そして警視になっていた。(ウツボ)警視は高等官だから、陸軍の階級では、奏任官一等(高等官三等)に当たるから、三十九歳で陸軍大佐相当に昇進していたことになる。(カモメ)また、「中京法学45巻1・2号」(2010年)の論説「近代日本文官官僚制度の中の台湾総督府官僚」(王鉄軍)にも高塚疆の職歴が記載されていますね。(ウツボ)そうだね。この記述によると、高塚疆は、明治四十四年十月二十七日~大正元年台湾総督府警察本署庶務課長。大正元年十二月三十一日台湾総督府理蕃課長心得。大正二年一月十八日、台湾総督府警視となっている。(カモメ)高塚疆については、以上の記述以外は不明ですね。(ウツボ)そうだね。何も分らない。