カテゴリ:城(中国)
さて、辛抱強く歴史の長話にお付き合いいただいた皆様、
お疲れ様でした(笑)。 再び、遺構の紹介に戻ります。 え~と、天守台から本丸へ来たから、中門へ行こうかな(場所はこちら)。 クルマが邪魔だけど、なかなかどいてくれなかったので・・・ ここには解説もありましたが、か~な~り一般的な説明だったので、 割愛します(すいません)。 けど、ここにあった三原城の絵図はたぶん 「備後國三原城繪圖」を元にしたもので、 城内の位置を説明するのに使い勝手がいいので、 本丸のところでも使ったし、ここからの説明にも使わせていただきます。 で、本丸中門はかつては城内のこの場所にあったもの(★の部分)。 二の丸は、本丸の南と東を取り巻いてるけど、 中門を出て堀を渡ったところにある馬出のような 小さな区画も、二の丸の一部。 堀は一部復元だそうです。 ただ、この堀をずっと北に行くと、 って天守台西側の堀へと本来は続くものなんだけど、 ご覧の通り堀幅が全然違う。 一部っていうより、ほぼ復元だろうと思うけど。 手前の石垣も、最近積まれたものっぽいしね。 そして、現代ではこんな風に鳥さんたちが憩ったりもします。 この時、暑かったからね 北寄りの石垣は、遺構とみていいのかな。 このあたりの石垣は風格がある。 中門跡碑のすぐ南には、「臨海一番櫓跡」がある。 この辺の石垣は大変フレッシュな顔ぶれでした(笑)。 中門・臨海一番櫓跡から西へ向かうと、西築出の酉門跡碑があります。 (場所はこちら) 古図でいうと、この辺。 中門を出て、出島・・・というか馬出になってる二の丸の小さな区画に入り、 西ノ門を抜けて西築出に入りました。 この近くにちょっと見たいものがあったので、 西築出を歩いてみましょう。 酉門碑からすぐ南の小道が「おさくじ通り」。 ほらね↓。 こーゆー地名は、是非とも残してほしいよな。 この先が、港町公園。 「備後國三原城繪圖」にはちょうどこの公園の辺りに役所が描かれてるから、 これが作事奉行所とかだったのかもしれない。 酉門のすぐ近くには材木置場も描かれてるし。 このまま道なりに進んで、この道を南に入ります(場所はこちら)。 これが「西浜がんぎ通り」。 ここは、古図でいうとたぶん矢印の石垣に沿った道だと思う。 西築出を出ちゃいましたね(笑)。 「備後國三原城繪圖」にはさすがに雁木までは描かれてないけど、 この通りの名前からして、おそらく雁木があったんでしょう。 この通りには、古い家がいくつかある。 その間の道は、相変わらず細い道(笑)。 (三原名物の細道は、旅日記「三原編」の方をご覧ください) で、見たかったのはこれ。 【敷石記念碑】 これのことは、「城下町みはら散策マップ」で知ったんだけど、 それには【”もやい柱”風記念碑。このあたりは海だった証だ】とある。 ただ、記念碑の由来についてはわからないんだけど(笑)。 けど、ここにはこんな絵があった。 西築出付近の埋め立ての経緯を色別に示した、西浜変遷図。 グリーン・・・明治中期埋立 ピンク・・・・・明治末期~大正埋立 オレンジ・・・昭和9年以降埋立 水色・・・・・・現水路 とある。 ピンクに囲まれた白い部分が、元の西築出。 現在の三原港の西側がごっそり埋立地だってのが、よくわかる。 おお~、これはいい図だぞ。 やっぱりここに来て良かったな そして、この看板の柱には アハハハ・・・ 西之宮壱里塚と同じく、没後400年を経て、 又四郎様ってばここでも城下整備に一役買ってるのか。 おつとめ、ご苦労さんにござんす にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年11月07日 20時49分08秒
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