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戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年05月03日
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カテゴリ:城(中国)
鎌倉時代頃の相続は、分割相続。
子供達への分配はもちろんのこと、当主である自分の死後未亡人となる妻にも
生前に所領の配分を決めておいた。

ただし、女性への相続はその本人が生きている間に限られた。
これを一期分(いちごぶん)という。


   小早川一族系図


上の図は小早川一族の大ざっぱな系図で、四角で囲ったのが庶家。
ちょっと全部は収まらなかったので、土肥實平と遠平親子もカットして
3代景平から始めてます。
4代茂平の娘の浄蓮尼も、この一期領主にあたる。

地頭の直営地である門田を中心として開発を進め、
次第に自己の所領を増やしていきつつ、庶家に所領を配分して
まだ領家の力が強かった土地への影響力を強めていった。



この頃の相続の特徴として、惣領による単独相続ではなく、
惣領以外の庶子も含めた分割相続と
女性への相続が認められていたことが挙げられる。
が、それだけではなく、縁戚関係も重視されていたという。

例えば、茂平。
茂平の妻は大中臣氏の出身で、そちらの系図には茂平の名前も記載されており、
あわせて沼田荘が所領として書かれているという。

あと、図書館で郷土史の本を見ていた時、
「千葉氏が一時、沼田荘を所有していた」という記述を偶然見つけた。

これの出典については不明なんだけど、私の手持ちの資料では
千葉氏が沼田荘に任じられたという記述を見つけることはできないので、
大中臣氏と同じように縁戚によって千葉氏の系図に書かれたものか、
もしくはそれに近いような状況ではないかと思われる。

こうなってくると、もう訳がわからないよね。
まるっきりウソを書いてるとも言えないけど、こうしたことを考えると、
系図などをそのまんま鵜飲みにしてはいけないのか・・・と
史料を読む難しさをあらためて感じる。

当たり前のことだけど、時代背景をきちんと理解しないと、
正しく史料を読みとれないってことだもんね。



そういう事情もありまして、文書に記載されている所領も
どこまで実態を反映しているものなのかちょっと疑わしい面もあるものの、
大体の所領というのは惣領が残した譲状、現代でいうなら遺言書が教えてくれる。


で、小早川氏の所領はどんなもんだったかといいますと、
まずは3代・景平の時には沼田の本荘と新荘がある。
先にお断りしておきますが、あまり正確に所領を書くと大変煩雑になるので、
ここではかなり大ざっぱに書きますことをご了承ください。

景平は子・茂平に惣領の座と沼田本荘を譲り、茂平の弟・季平には沼田新荘を譲った。
季平の系統が、新荘系小早川氏となる。
季平の子の代から椋梨氏を名乗り、新荘系の中でさらに増えていく庶家を統括して
椋梨氏が新荘系の本家となった。

4代茂平の代では、承久の乱後に都宇・竹原荘をもらって
これを雅平の弟に継がせて竹原小早川氏ができた。
ね?
しつこいようだけど、竹原家は別に分裂した訳じゃないから。
ただの分割相続だから、そのへん誤解しないでねぱー



茂平の頃になると色々なことがわかってくるが、所領もそのひとつで、
いくつかある譲状によると、茂平の代では上に書いた沼田の本荘と新荘、
それから都宇・竹原荘のほか、

 ・讃岐国与田郷
 ・相模国成田内北成田郷・飯泉郷
 ・阿波国坂西下荘内
 ・鎌倉米町
 ・小松(所在地不明)
 ・信州赤坂
 ・佐木島
 ・常陸国藤井郷

あたりにわずかな所領や田・屋敷、あるいは限定的な権限の地頭職や
その他の役職を持っていたことが窺われる。

鎌倉ってのがちょっと意外な気がしたんだけど、
やっぱり御家人だからなのかな。
譲状には「鎌倉米町在家一宇跡」とあるので、
屋敷とちょいとした田んぼ程度のものかとは思うけど。



時代が下ると、これに備前国裳懸荘の地頭職だの、
伯耆国富田荘天万郷の一分地頭職だの、
美作国打穴荘上下村だの、伊予国越智郡内大嶋の4分の1地頭職だの、
下総阿玉郷だの色々入ってくる。

一瞬目を疑ったのが、貞治2年(1363)の譲状に
「安芸国高屋保」と書かれてるもので、高屋保は平賀氏の白市周辺の荘園を指す。
『荘園志料』によると、高屋保は平賀氏が建武3年(1336)に勲功として
もらったものだとあるので、相当疑わしい泣き笑い

けど、その後の代の譲状にも高屋保はばっちり書かれていて、
何なんだかよくわからない。

高屋保だけじゃなく、伯耆の一分地頭職なんかも
カラ手形じゃないのかと思うんだけど雫


その他には変わりダネとして、椋梨家の定平さんが箱根のお山で
犯罪者を逮捕した褒賞として、出羽国由利郡小友村をもらった記録なんかがある。




さらに小早川さんちは京にもなにがしかの土地を持っていたようで、
四條油小路屋地・七條大宮篝地四半町・東山霊山内平松屋敷地の
記述がある。

鎌倉の御家人には様々な公事の割り当てがあったが、
例えば茂平は在京奉公人として六波羅探題の指揮下で京に常駐しており、
担当が七條大宮だったんだそうな。
七條に屋敷を構えてたってことなのかね?

四條の油小路屋地については、康永4年(1345)5月に
敷地の件で千葉胤泰とモメて幕府の裁定を仰いだ記録が残っている。
地元だけじゃなく、出張先でまで土地のトラブルがあるなんて笑える泣き笑い

いや、別に小早川氏だけが欲深いんじゃなくて、
どの家でも似たような問題はあったんでしょうけどね。



興味深いのが東山霊山で、ここには小早川氏の祖となった土肥實平の墓があったと
「小早川家文書」にあるのだ。

實平は小早川の初代だから、もちろん沼田小早川家の菩提寺・米山寺
墓がある。
それから、出身地の湯河原にも墓がある(ちなみに遠平の墓もある)。
しかし、東山霊山に第3の墓があったとはね!!

これは(私には)結構衝撃的だった。

今の霊山(りょうぜん)に實平の墓と伝えられているものがあるのかはわかりません。
が、茂平から竹原政景への譲状の中には、
50石を霊山の灯油料などとして納めるよう書かれているので、
それがいつまで続けられたものかまではわからないものの、
少なくとも初期の小早川氏の段階では霊山の實平の墓へ
供養が続けられていたことがわかる。

實平の晩年についてはよくわかっていないので、
3つあった墓のうちどれが本墓なのかはわかりません。
あるいは、どこか別のところにひっそりと埋もれてるのかもしれないし。



あらたに所領をゲットした場合なんかはここぞとばかりに書かれるものの、
それを失ったことについてはあまり書かれていない。
というか、書かれたものが残っていない。

ひとまず私が知っているのは、康正2年(1456)に
徳政令の関係で七條大宮の返上についての書状があることぐらいかな。
ただ、この後どうしたのかはわからないけど。

まあ、そもそも遠隔地についてはどこまで実質的な権限があったのかも
わからないしね~。
小早川の領地が妻方の系図に書かれているように、
小早川の妻方の領地を譲状に書いてる可能性もあるし。

ただ、例えば平賀氏なんかの場合は、安芸に引っ越してきた後、
それまで住んでた出羽の所領は失われていったというし、
上に書き出したうちのいくつかは、同じように自然となくなっちゃったのかもしれない。
時代が下れば、環境も厳しくなっていくからね。




相続の配分については、あらかじめ生前に決めておくものの、
なにも死に際にあわてて決める訳じゃない。

分割相続だからこそこまごまと決めておく訳で、
譲状を書いた時から何年後にそれが現実のものとなるのかは、
書いた段階ではわかっていない。

なので、この頃の譲状には最後に

「あとで気が変わるかもしれないから~。
そこんとこ、よろしくね緑ハート

とただし書きが付いている。
まあいちおう、命に背いた者があれば、って文言はあるけどね。

本文では「可悔返也」という文言になるので、
一般的にこれを「悔い返し」という。


小早川家でも、一度この悔い返しが行われた時があった。
それが「則平の悔い返し」。
あらましについては「鏡山城(8)」に書いてますので、
忘れた方はそちらも見てね。

則平が出陣する前、譲状などを弟に預けておいたが、
納得いかなかった持平はどうやら叔父の手から譲状を奪ってしまったらしい。

この叔父は僧侶だったので、力で負けちゃうのは仕方ないよね。
譲状を奪われた後、そのことについて叔父が起請文を書いてるんだけど、
この中の文言に土肥實平の墓が東山霊山にあったことが書かれているので、
後の時代の人間からすれば、何が幸いするかわからないってゆーか・・・泣き笑い

だって、譲状が奪われなければ、霊山に何があったのか
私にはわからなかったかもしれないんだもん。

それで、「鏡山城(8)」のあらましの中で最後に竹原家の盛景も登場してきますが、
盛景以降、竹原家の譲状の中には贈与する財産として
「沼田本荘」の語句が現れるようになる。


なんかもう・・・笑っちゃうよね。
こういう文書の中から実態を抜き出すってのは非常に大変な作業になると思うけど、
私は研究者じゃないし、こんなことがいっぱい書いてある「小早川家文書」を眺めては
ひたすらのんきに楽しんでおります猫


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最終更新日  2013年05月03日 23時31分39秒
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