2074642 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2013年05月04日
XML
カテゴリ:城(中国)
小早川氏が沼田荘に来た当時はもちろん家父長制で、惣領が一族の統括をする。

教科書で習った通り、御家人は鎌倉幕府への奉公をし、
かわりに所領を安堵してもらう。
その他、勲功に対しては闕所となった土地をもらう。

ま、もらうといっても、「高山城(2)」に書いた通り、
土地システムは一元管理ではないので、丸々土地をもらえた訳じゃないんですが、
そこまで正確に書いてると訳のわからない文章になるので、
これまでの説明を踏まえた上での表現とご理解ください。

で、前回「高山城(3)」に書いたように、
御家人の所領というのは全国に幅広く分散していた。

遠く離れた領地を管理するために、惣領は一族を派遣して
現地の管理にあたらせる必要があったので、
血縁のつながりが重視され、惣領は一族を取りまとめるのに尽力した。


しかし、取りまとめると一口にいっても、
代を重ねるごとにどんどこ庶家が増えていくからね。


  小早川一族系図



これは前回のと同じ系図ですが、新荘系だけでも庶家が増えて、
本荘・新荘のいずれも庶家の取りまとめには苦労した。
竹原家の場合はまたちょっと特殊なんだけど、
それについては別のところで書きたいと思います。

新荘・竹原のどちらもそれぞれ地頭職は持っていたが、
その上に惣領制があるので、幕府の公事に関しては
基本的に惣領である沼田家の指示に従わなければならなかった。

そういう原則はあっても、後の時代になってくると
惣領家の求心力の低下が顕著になってくるが、
じゃあ初期は円満だったかというとそうでもない(笑)。




さて・・・、ここで4代・美作守茂平の登場です。
法名は本佛。
大内家でいえば、ひろよん(弘世)のような存在の方です。

ひろよんに例えただけで私の言わんとするところを理解した方は、
相当私のブログを真面目に読んできてくださった方でしょう(笑)。

いや、私この人大好きなんだよね~。アクが強くって泣き笑い

歴史の中の人達の生きた証をたどりたい私としては、
人間くさい話が大好き。

知将と呼ばれる隆景ちゃんなんかは、晩年になればなるほど
理詰めで周りをうならせたというエピソードを数多く持ち、
果ては冷静に理屈をこねくり回して天狗さえも追い返したという逸話を持つ。

が、スキのない聖人君子のような隆景ちゃんよりも、
パパに家中のグチを言ったり、兄ちゃんに駄々をこねる人間くさい隆景ちゃんの方が
私は好きハート(手書き)



最初に沼田に定着を始めたのが3代・景平だか4代・茂平だかは
はっきりしないものの、少なくとも茂平の代では沼田に居を構えていた。

ここまでに書いたように、領家や荘官ががっちり陣取ってる土地だからね、
ここにくい込んでいくためには、一族の団結が不可欠であり、
惣領には強力なリーダーシップが求められる。
そういう意味では、茂平は申し分ない人材だったと思う(笑)。


  小早川分布図



沼田荘には山が多く、また現在よりもかなり内陸まで海が入り込んでいた。
上の図でいうと、「沼田」の文字があるあたりが現在の本郷駅付近で、
三原から沼田川を上って「沼田」の文字の左下で川が分岐するでしょ。
かつてはこの辺まで海だった。

で、こうした地形の関係から当時は多く谷あいに田が開かれ、
谷水を利用して耕作されていた。
沼田荘の川沿いの平地には条里制が施行されてたっていうんだから、
畿内との関係が深かった古代から引き続き発展していた様子がうかがえる。

ただし、限られた開けた土地には既存の勢力が強かったので、
門田を中心に周囲の土地を取り込む他、茂平はうまい手を考えついた。
それが、干拓事業。


沼田小早川家の菩提寺・米山寺のしおりにはこんな縁起が書いてある。

 【東廬山米山寺は寺伝によると、平安時代の仁平3年(1153)に誓願禅師によって
  天台宗寺院として建立され、巨真山寺と称したが、のちに巨真山をコマヤマと読み、
  これがなまってコメヤマとなり、さらに米山の字をあて、室町時代には、ベイサンジと
  呼ぶようになった。また巨真寺とも称した。

  天台12世覚仙の時、建保の初土肥実平法を受け、没するにおよび此処に葬ったという。
  嘉禎元年(1235)に小早川氏4代の茂平が境内に不断念佛堂を建立し、また
  伽藍を整備して歴代の牌子を安置し、小早川総領家の菩提寺とした。

  嘉禎4年一条入道太政大臣(藤原公経)の御教書によって、塩入荒野を開き
  (沼田千町田)、佛餉灯油修理料田とした。(後略)】


時間のある方は「三原編」の(2)(3)も見て頂きたいんですが、
夏にミワラに行く前にそれなりの勉強もしたものの、
「小早川家文書」には手を付けていなかった。

ので、不断念仏堂建立の目的が鎌倉将軍家の菩提を弔うためというのは
本でちらりと知っただけだった。

何も知らず、考えもしなければはっきり言って気にも留めないような縁起だけど、
自分で藤原公経(きんつね)の下文を見て、さらに時代背景なんかも勉強すると
上の青字の簡単な文章にも色々な人の歴史が隠されてるんだなあ~って思ったし、
有名どころをあちこちつまみ食いするよりも、ひとつのことを掘り下げて
勉強する楽しさを知った。


それで、公経さんの書状ですが、これには代々の将軍の御菩提を弔うための堂だと
はっきり書いてある。
・・・まあ、菩提を弔うのはいいことですよ。
小早川氏は鎌倉の御家人ですしね。

茂平は不断念仏堂の仏飯や灯油料、また修理代として
沼田川流域を干拓して料田とすることを申請して、太政大臣である公経さんに許可された。

そして、干拓事業の許可のみならず、
沼田荘内の荘官や百姓もこの開発に従うようにと公経さんは言っている。



・・・話を先に進めましょう。

梨子羽の南に、楽音寺(がくおんじ)という古い寺がある。(場所はこちら
できれば今回行きたかったけど、残念ながら行かれなかったので、
今度行った時に写真などを載せますね。

寺伝によるとこの寺の創建者は藤原倫実(ともざね)で、藤原純友を討った功により
沼田7郷を賜ったという。
そして、藤原倫実が沼田氏の先祖とされている。

7郷というくらいだから、当時の沼田郡、のちの沼田荘の広い範囲にわたって
勢力を持っていたことがうかがえる。

楽音寺はこの沼田氏の氏寺だった。
地理的にも沼田荘のほぼ中央に位置し、多くの免田を持ち、
周辺寺院の筆頭として法要を行うなどの有力寺院でもあった。

現地での影響力はかなりのものがあったらしく、
これを味方につけるとだいぶ進出も楽になる。
茂平は楽音寺を氏寺として取り込もうとした。

が、なんかこの作戦はイマイチだったらしく、
のちに茂平は不断念仏堂を置いた巨真寺(米山寺)を氏寺としている。



米山寺へ行った時、なんで惣領家の氏寺をこんな不便なとこに置いたろう?
って思ったけど、どうも米山寺のある山のすぐ近くまで海だったようだから、
当時はそんな不便な場所でもなかったのかもな・・・
開けた土地にはそう簡単には進出できなかった訳だし。

そして、干拓によってできた新しい土地は(名目上)米山寺のものであり、
実質的には小早川氏のものとなる。
しかも、干拓の人手は、関係ない沼田荘全域の労働力を自由に使える。

当初は楽音寺を狙ってたようだから、
最初から米山寺を氏寺とするつもりはなかったかもしれないけど、
「将軍家の菩提」は黄門様の印籠のように小早川氏の発展を
バックアップしてくれたのか~!って笑えた。
まあ、平たく言えばうまく口実に使った訳だけど雫



現在残っている史料から具体的に確認できる茂平の行動には、
当然のことながら限りがある。
そもそも茂平本人は、京にいることが多かったようだしね。

ただ、小早川氏発展の基礎を築いた人物であることに変わりはないし、
恐らくあの手この手で現地の支配力を強めようと頑張ったのではないかと推測される。

そして、強烈な個性を持つ親父からは、これまた個性的な子が生まれた泣き笑い
私にとって最もインパクトのあるのが竹原家の初代となった政景さんなんだけど、
彼については竹原のところで書きたいと思います。


政景の他には、浄蓮尼がいる。
この人は犬女といい、茂平から梨子羽の地頭職を譲られた。

女性ながらも、既存の勢力の強い梨子羽の地にあって精力的に支配地の拡大を図り、
領家とモメたりした記録が残っている。
また、浄蓮尼は楽音寺にも関わり、彼女を通じて小早川氏が
楽音寺の寺務にも次第に介入するようになっていく。

浄蓮尼は一期領主だったが、彼女の後を継いで梨子羽の地頭になったのも
神郷殿という女性だったそうな。
神郷殿の詳しい出自はわからないものの、この人も地頭として活躍したようで、
実力で地頭に選ばれたのかは不明だけど、この頃の文書とかを見てるとなんつーか・・・

男も女も、エネルギッシュだなあびっくり

ってカンジ。



にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013年05月04日 17時27分47秒
[城(中国)] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

カテゴリ

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ]
価格:2916円(税込、送料無料)







PVアクセスランキング にほんブログ村

お気に入りブログ

ほげほげと えびねっこさん

© Rakuten Group, Inc.