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戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年06月13日
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カテゴリ:江戸めぐり
本殿へ参拝する前に手水舎に寄ってみた。
全体の写真がないけど、ここには素敵な彫り物が沢山あったので、
細部はバシバシ写真を撮った。


      日暮里・諏方神社10・手水舎


      日暮里・諏方神社12・手水舎



      日暮里・諏方神社13・手水舎



      日暮里・諏方神社14・手水舎



      日暮里・諏方神社16・手水舎



結構いいっしょ~!!
ああ、千社札剥がしてえ炎

手水舎にこれだけの彫り物があるってのがびっくりしたね。
フツーの神社かと思ってたけど、やっぱり格がありそうな・・・

が、この素晴らしい手水舎は実はかなり現代的で、
「龍口に近づきますとセンサーの反応で水が出ます」と貼り紙がしてある。 

この龍の口から出るのかな?↓
記憶にないってことは、たぶんお清めはしなかったんだな(笑)。
だって、なんかフタがかぶせてあるし。


      日暮里・諏方神社18・手水舎



で、こちらが拝殿↓。


      日暮里・諏方神社19


おお、立派じゃないか・・・
こちらにも狛犬がおわします。
が・・・


      日暮里・諏方神社20



      日暮里・諏方神社21



すげえな、これ・・・
なんかローマ人みたい泣き笑い
都内の狛犬も、結構掘り出しモノ・・・てか、変わりダネが多いかもしれんな。

後ろ姿も、実に変わってる↓。


      日暮里・諏方神社24



      日暮里・諏方神社25



ビミョ~にかしいでるとこがまた、妙なリアル感があるってゆーか・・・
背骨出てるし。
シッポさえなかったら、古代エジプト風のヅラかぶった人間が
胡坐かいてるみたい(笑)。


パンパンしてから内部を覗く↓。


      日暮里・諏方神社22



お供え物も沢山あがってるし、立派な本殿だな。
この中に掛かっている扁額に「諏方神社」とあることから、
こちらでは表記を「諏訪」ではなく「諏方」としているともいう。

境内には、社名についての解説もあった。


 【「諏方神社」御社名に就いて

  当社は、信州・諏訪大社の御分社ですが、御社名は「諏方神社」と申し上げます。
  この「諏方」は古来の表記であり、御社名や古文書等に使用例を見ることが
  できます。

  抑も信州・諏訪地方は往古、「洲羽」「須波」などと表されていましたが、
  和銅6(713)年の”畿内七道諸国郡郷の名は好き字を著けよ”(続日本記)の
  制以降「諏訪」となったようです。しかし中世から近世にかけて「諏方」の
  表記も併せて多く用いられるようになり、その傾向は国の記録や公の文書にも
  及び、大社に納められた奉納の品にも見られました。

  こうした中、天保5(1834)年、諏訪・高島藩に於いては「諏訪」と書く旨
  指令が出されるという動きもありましたが、近年に至り全国的に地名、人名
  などに於て「諏訪」が通常の表記となり、御社名などに残っていた「諏方」は
  使われなくなっていったようです(現在、御社名としては、全国の御分社
  八千有余社の内数社にみられます)。

  当社におきましては、所蔵する元禄時代の軸(細井廣澤書)に「諏方大明神」と
  あることに拠りまして「諏方神社」を御社名としています。】
  (漢数字は戦国ジジイが変換。それ以外は原文のまま)



拝殿の蟇股↓。


      日暮里・諏方神社23



では、拝殿脇の摂社をご紹介~。
まずは、「三宝荒神社」↓。


      日暮里・諏方神社26・三宝荒神社



      日暮里・諏方神社29・三宝荒神社


造りは新しいけど、ここもなにげに細かい彫り物がある。
カメちゃん音符↓。


      日暮里・諏方神社27・三宝荒神社



懸魚↓。
これは何の鳥だろう・・・尾っぽはクジャクみたいに派手だけど。


      日暮里・諏方神社28・三宝荒神社


蟇股は龍↓。


      日暮里・諏方神社33・三宝荒神社


正面にも龍↓。


      日暮里・諏方神社34・三宝荒神社



社の脇っちょ↓。
松と・・・懸魚と同じ鳥がいる。
鶴って、こーゆー羽してないよな?


      日暮里・諏方神社35・三宝荒神社



その奥が三峰神社↓。      
石造りだけど、垂木とかまでちゃんと造られてる。


      日暮里・諏方神社30・三峰神社



      日暮里・諏方神社32・三峰神社



うん、これは秩父の三峰神社からの勧請だな。


ここまでは、拝殿の向かって右側。
左側をのぞいたら、渡り廊下の向こうにも宮が見えた。
この廊下の下はかなり低いので、思いっきり腰をかがめてくぐっていった。
ああ、また不審者みたい・・・雫


      日暮里・諏方神社36



奥にあったのがこちら↓。
御嶽山大神・八海山大神・三笠山大神とある。


      日暮里・諏方神社39・御嶽神社
 


この付近には、諏方神社の縁起も書いてあった。


 【諏方大明神略縁起

  源義朝家臣豊島兵四郎、義朝落命後の永暦元年(1160)生国信州下諏訪に蟄居、
  諏訪明神を信心し、再び源氏に忠勤せんと願うも病に相果てり。子息平六郎
  困窮甚だしき余り、家の再興を諏訪明神に祈誓せるに霊夢あり。現れたる貴人の
  宣託に従いて湖水に向かうに、水中より光の発するを見、潜りてその元を尋ねるに
  御神体と思しき物を得。

  平六郎之を祀りて朝夕信心せるに家は漸く栄え、治承4年(1180)の
  頼朝挙兵に於ては軍功数度に及び、此れに仍って元久2年(1205)、
  武蔵国中豊島郡を領地に賜る。是より豊島左衛門経泰と名告り、信州より遷奉る
  御神体を東の方、山麓に奉祀せり。

  扠、嫡子左近太郎の代に至りて家は没落せるも社は其の儘に在りしが、或る時、
  盗賊の押し入りたる事有り。御神体を持ち手逃げ去りしが、途上、俄かに
  立ち竦みたるに、土民此れを取り押さえ、御神体を社へ遷し奉りき。

  土民等此処を以て其の神徳を敬い、産土神と仰ぎ奉れり。その後時を経、
  山上開削されし折、麓より当地に遷し奉りき、と伝えたり。】


う~ん、なるほど・・・
つまり、信州の諏訪様は源家とのゆかりがあるってことね。
そーゆー縁で為朝の人形が造られたのかもしれないよな。

まあ、一般的に一番メジャーな源家のヒーローは義経だし、
ほかにも色々いるんだから、なんで為朝をチョイスしたのかはナゾですが(笑)。 



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最終更新日  2014年01月04日 21時08分50秒


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