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テーマ:本のある暮らし(3307)
カテゴリ:絵本
近所の屋外プール、待望のプール開きである。歩いて行けるところがいい。子どもらは50円だし。3年生以下には保護者がつかねばならないのが玉に瑕。ナンが自分で行けるのは来年からか。ゼロも3歳未満とあってまだ幼児用にも入れない。だから亭主殿と私は交替で幼児室でゼロにつきあって待ちぼうけ。それでも遊泳部分の芋の子洗い状態にくらべ泳ぐコースの空きっぷりは自分のペースでそれなりに泳ぎたい私たちにはありがたい。
アウトドアはもちろん1年ぶり。とは言え現役時代のような怖さはない。オフシーズン中、外で泳げるのをあれほど待ち焦がれていたのに、解禁となるや脚の竦むあの感覚はなんだったのだろう。嬉しいのと怖いのとで頭が沸騰しそうだった季節。 豆魚雷と呼ばれた夏もあったっけ くじらみたいに今日は泳ごう ↑20ン年前に詠んだ拙作。豆魚雷は現役時代の渾名。日本の東と西と、まったく別々の学校で同じ呼び名をつけられるとはこれ如何に。どちらも男子の先輩命名。呑気に好きなように泳げばいい今、体型もジュゴンを通り越してトドのようになっている。その分冷たさに耐性があるかといえばそうでもないのが現在の生活の軟弱ぶりを示す。さすが屋外、水温はまだら。水の噴き出し口、人の分布、プールすぐ外の大木とその日陰、高い空に浮かぶ雲。水温に影響を与える要因はさまざまだ。しかしひとかき毎にぬるかったりひゃっこかったりは心臓に悪いよ。 プールで泳ぐ快感、といえばこの本である。怪作『いわしくん』。スイマーならみな知ってる、あの最高スピードに達して完全に水に乗った瞬間の、ふっと自分の身体がなくなるような感じ、透明なものになって水とほとんど一体化したあの感じ、あれこそ「おさかなになったわたし」ではないか。ラスト10メートルでこの「ぼくは およいだ」をつぶやけていれば、もっと爆発的なスパートをかけられたかもしれない、なんてね。
といってもいわしの競泳の話ではない。海で泳いでいたいわしくんが捕まえられて、夕食のおかずになるまでの魚の一生。買われて焼かれて食べられて。豪快一歩手前の爽快な絵と文章のテンポの良さのおかげで、湿っぽかったりかわいそうだったりする瞬間がまったく無い。泳ぎきるように生ききる。 そしてそして、これで終わらない、ここからがこの本の真骨頂。食べられたいわしくんは、食べた男の子と一体化して、プールで泳ぐのだ(憑依じゃないかんね)。ラストの一文「ぼくは およいだ」の爆発力。これぞ生命の輝き。食べる=命をいただくことの真髄を描ききった作品。幼稚園の図書室で読み聞かせ仲間に教えてもらった逸品だ。あんまり見事にノックアウトされて、まだ同じ作者の他の作品を探す気も起こらないほどだ。読み聞かせでまだ使ったことはないけれど、絶対いけるに決まっている本。9月の5年生で読んでみるか。 夕刻、近所の天神様の盆踊りに行く。ナンは浴衣。あげを全部おろして、ぎりぎりつんつるてんにならないくらい。白地に折り鶴その他の古典柄、来年はもう従妹にあげようね。リンは去年まではよろこんで着てたくせに、動きにくい、女っぽいのはヤとにべもない。がっくりきた亭主殿に「もうおまえは女をやめろ」と言われていた。男の子役の声優志望だから、本人別にそれでかまわないらしい。 年々閑散としていく天神様の参道。射的の類は今年は見当たらない。時間が少し早かったので、焼きソバ屋と焼きとり屋が互いの商品を取り換えっこしてのんびり食べていたり。きびだんごとわらび餅の看板を出している屋台はまだ仕込みも終わっていなかった。 唯一子どもたちが群がっていたのが金魚すくい。志願したナンは見事に(笑)小さな小さなめだかを掬った。おまけにあと2匹つけてもらって連れて帰る。今までは掬っても近所の池のある公園に放していたけれど、今年は亭主殿の鶴の一声で飼うことに(掬うところを初めて見たらしく、やけに感心していたからその所為か?)。調子にのったナンは夜になって今度はお姑様にせがんでもう一度金魚すくいにいったのだった。ちゃんとお世話するのよ。
飼い主以上にゼロが夢中になって水槽にへばりついているので、今度これを見せてやるか。さあて家のどこにあったかな。←本があり過ぎて肝心な時に読みたい本が出てこない我が家。ええ、もう読まない本は捨てればいいんです、わかってるんだけどさー。図書館に要求する前に自分のとこをどうにかしろって話ですね。 ↓よろしかったら押してください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.07.19 15:13:27
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