病気と付き合うは、怠けていると紙一重なんだよね。
いつも闘病日記を読んでくださり、ありがとうございます。先日頑張ることを諦め、病気と付き合っていこうと宣言したところですが、「付き合っていく」ことって、「怠けている」と紙一重なんだよね。人の目を気にしたら「怠けている」ように見えてしまうのだよね。人間が頑張ることをやめたら「怠けている」になってしまうと考えている自分がいる。そもそも「頑張る」「怠けている」の二択しか思いつかない時点で、病気なんだなと思う。他に選択肢もあるだろうに。けれど、「頑張る」を諦めることにしたので、病気と上手に「付き合って」いこうと思います。「頑張る」「怠けている」ではなく、「付き合う」ということにしたのですから、それ相応の覚悟が必要です。病気と「付き合う」のって結構難しいと思います。具体的には「頑張らない」「諦める」といったネガティブ言葉しかでてこないわけですが、それがうつ病の特効薬になるのだろうなと思う。ネガティブ言葉ばかりですが、それを実現するのってとても難しいと思います。けれど「付き合う」と決めたのだから、覚悟をしようと思います。きっと今までの自分とは異なる生活になっていくのだと思う。「頑張る」ことしか知らなかった人間が、「頑張らない」選択肢をとったわけですから、生活が180度変わってくるんじゃないかな。プライドだけで生きてきた人間がプライドを捨てて生活をしていくのってどうなんだろうか。想像ができない。。けれど、正直なところ、もう「頑張れない」です。闘病をずっと続けてきて、自分に鞭打って、寛解をさせようと頑張ってきた。それにもう疲れてしまった。もう頑張れない。泣き言ばかりだな。けれど、頑張ることがもう限界なのです。作業所に通所していても、金銭のためにがんばってきた。人の目を気にして頑張ってきた。他人から「頑張りすぎ」と言われるくらい頑張ってきた。それは全て自分の中のプライド。それらを全て捨てて、新しい自分を見つけていこうとしている。問題は「プライド」だけですね。「付き合っていく」を決めた自分を、自分が許容できるかですよね。「頑張っている」ことでしか自分を許容できなかった自分が「付き合っていく」という道を選択した自分をどうやって許容していくのだろうか。まぁ、一朝一夕で変わるものではないですが、少しずつ変えていこうと思います。気が楽になるかどうかはまだ不明です。やったことがないから。自分でもまったく見えない領域に足を踏み出してみようと思っているところです。一般・障害者枠の就労に戻れない道を選択したわけで、結構怖い部分はあるけれど、それでも嫁や娘が協力してくれるということなので、今は治療に専念しようと思っています。病気と「付き合っていく」ことで治療に専念し、企業ではなく作業所で「流されるように」作業を淡々とこなしていこうと思っています。甘えているかもしれないのですが、すでに働きながら寛解を目指すと言うのは無理な状況でして、作業をしながら、病気と付き合っていくことを目標にしてみました。本当に家族に感謝です。家族は協力をしてくれる。あとは自分の行動次第。不安はないのかと言われたら不安はあります。気が楽になるのかと言われたらわかりません。恐怖はないのかと言われたら怖い部分もあります。だって全て今までの経験値がゼロになる状態を作ろうとしているわけですから、不安だらけです。病気と「付き合う」という姿がどういうものかわからないし。ただ、はっきり言えるのが焦る必要はなくなったということ。焦って就労について生計を成り立たせる必要はなくなったということ。これは結構大きいと思う。就労につきたかった理由が生計をなりたたせるためだったので、それを放棄したわけですから、少しは和らいで行くんじゃないかな。発病してから8年間ずっと頑張り続けていた。就労につけるように作業所に通いながら通院して頑張ってきた。それを今後はがんばらず、病気が「無理」と言ったらそれに従い、今日はできそうと思ったらそれに従うことにした。最初は病気に人生を左右されていると感じることもあるだろうけれど、それを続けていき、「付き合って」いくことを自分でコントロールできるようになっていきたい。想像ができないことだらけだろうけれど、「付き合っていく」ことが闘病生活としていい方向に進んでいけばいいなと思います。