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バス停地名学のすすめ

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2009.03.20
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カテゴリ:足立区
バス停データ
◆所在地:足立区 ◆路線:都営バス[草43]系統

みなさん、こんにちは。

日光街道(国道4号)の千住大橋北詰から200メートルほど先に、都営バスの京成中組バス停があります。京成線の千住大橋駅の目の前であり、利用者の便を考えれば千住大橋駅前と名乗るべき立地ですが、本ブログ的には有難いことに、都営バスは京成中組の名に拘りを持っているかのごとく、その名を変えることなく現在に至っています。

そもそも「中組」とはなんでしょうか。似たようなバス停について、第108回「雷」の項で、雷上組、仲町東組といったバス停をご紹介したことがありますが、「組」は古くから小集落の単位として使われた呼称と考えていいでしょう。かつて日光街道の宿場街として発展した千住は、万治年間(1658~61)に宿の南側、現在の千住仲町、河原町一帯から千住大橋南側の通称「コツ通り」までが宿に加えられ、旧来の千住本宿を北組、その南を中組、千住大橋南側を南組として区分けするようになりました。その中組の地に京成線が通ることから、京成中組のバス停名が生じたのでしょう。千住宿時代の土地の呼称を後世に伝える意味では、貴重なバス停といえます。

京成線のガードをくぐり、千住橋戸町の住宅街を南へ歩いていくと、隅田川に突き当たる手前に橋戸神社があります。平安時代の延長4年(926)創建と伝えられる古社で、荒川上流から運ばれてくる物資の荷揚げ場として付近が栄えるにつれ、人々の信仰を集めるようになったといわれます。本殿の扉に、鏝絵の名工といわれた伊豆長八作の白狐の漆喰彫刻があることでも知られ、通常は非公開ですが、普段はレプリカにより雰囲気を味わうことができます。

(次回へつづく)

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最終更新日  2009.03.21 00:49:00
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