本のタイトル・作者
母のトリセツ (扶桑社新書) [ 黒川伊保子 ]
本の目次・あらすじ
第一章 母の機嫌にビビらない人生を手に入れる
第二章 母の愛は「毒」であると知る
第三章 母親に巻き込まれないためのノウハウ
第四章 母親をつき放しつつ喜ばす方法
引用
―――母親には、たしかに人生をもらった。感謝してもしきれないが、くれた以上、私の人生は私のものだ。いつまでも「自分のもの」だと思われちゃ困る。それは、ケチというものだ。
感想
2022年107冊目
★★★
半分くらい読み進めつつ「あれ、これ前に読んだっけ…?」と思うくらい既出の内容が多い。
けど、『母』というキーワードに惹かれて読んでしまった。
もう読むのやめようと思ってたのに…。苦笑
今回は、2世帯同居やお嫁ちゃんの妊娠のお話が新しかったです。
母娘の関係性って、難しいなあと思う。
自分が娘であり、母となってなお、この絡まった糸をうまく解ける気がしない。
著者は、赤ん坊だった息子が痒がっていた時、自分を掻いたら痒いのが収まった(母子同一性、身体性の共有)という。
その感覚がきっと、死ぬまで消えないのだろうな。
どこかで「自分の肉体の一部」という気がするのだろう。
母は、与え、奪う。
何が正しいかなんて、分からない。
それでも自分の選択を、決断を、「正しい」と信じて進むしかない。
この本の中で、「日本語は主語を明示しないが、反論する時だけは主語をつけてはどうか」という主張をされているのは興味深かった。
「私は」反対だ。
その枕詞をつけないと、その反論は「世間」目線になってしまう。「全否定」だから。
私は母親になってから気を付けていることがあって、それが「一人称を加えて話す」こと。
私は、好き。
私は、そうは思わない。
日本語は最年少者の視点から見た関係性で会話をするので(「ボク、お名前は?」)、まるでそれがその者の代弁であるかのように語られる。
私は子どもの頃からこれが物凄く嫌だったので、子どもと話すときに「私は」「母(かか)は」と主語を明らかにするようにしている。
あなたがどう思うかは知らない。関係ない。私に合わせる必要はない。
でも、「私は」こう思う。
身体性の切り離し。
境界線の明示。
しかしこれ、「問題はあなたがどう思うかであって、その責任はあなたが取るのだ」と幼い娘にやって泣かれてしまったことがあるので注意。
子どもやからな、相手。
小学校1年生になった娘も、年中の息子も、毎晩私とくっついて寝たがる。
3枚布団を敷いているのに、気付けばぴっとりくっついて1枚で寝ている。
赤ん坊の時は不思議だった。
何故離れると泣くんだろう?
きっとその昔―――サバンナとかどこか、ともかくそういうところで。
置いて行かれると、親から離れると、命が危険に曝されたからであろう。
私は子育てをしている、うんと。この時間も。
くっついて一緒に眠るだけで、私はそう思う。
彼らの本能的な幼い不安は、いつ「大丈夫」に変わるのだろう?
身体性の別離。
今はまだ、ぎゅうぎゅうになって眠りながら、そんなことを思う。
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