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カテゴリ:タイガース背番号史
背番号21(その3) 背番号21の第3回目です 今回最初に登場するのは横山光次さんなんだけど皆さん知ってた?この方は10年間「21」を背負ったのよ 10年以上着用した選手はこの番号では初めてね ここでネタばらししてしまうと 横山さんの後も10年以上つけた選手はなかなか出てきません 2人目は岩田稔投手なのよ 岩田さんは16年も着けました そして10年以上着けたのは横山さんと岩田さんの2人だけなんだよ 背番号「21」も紆余曲折の番号なのよね 横山光次(よこやまこうじ) 投手・外野手 大阪府東淀川区の出身。扇町商業高校(現:扇町総合)時代の1951(昭和26)年にエース兼4番打者として選抜大会に出場しベスト8。高校時代から非凡なバッティングは評価が高かった。 1952(昭和27)年にタイガースへテスト入団、最初の背番号は「43」だった。登録は投手で最初の2年間は1軍に上がれずファーム暮らし。 打撃センスを買われて外野手に転向した1954(昭和29)年に初めて1軍に上がるも6試合9打数1安打0打点で、ようやく「1軍を経験した」という程度だった。 1955(昭和30)年、背番号を「21」に変更すると1軍に定着、69試合に出場するが打率.207ではレギュラーを取るまでの数字ではない。 1956(昭和31)~57(昭和32)年も常時1軍におり、並木輝男との併用ながらスタメン機会も増えてくるが、2年続けて打率が1割台に低迷してポジションをつかめない。 1958(昭和33)年に初めて100試合を超える113試合に出場すると、翌1959(昭和34)年には田宮謙次郎の移籍で空いたライトでレギュラーとなり、123試合に出場してプロ生活唯一の規定打席にも到達、407打数104安打37打点8本塁打、打率.256を記録して活躍した。 しかし、1960(昭和35)年にマイク・ソロムコ、1962(昭和37)年には藤井栄治が入団すると、徐々にスタメン出場数は減っていき、そのかわり代打での活躍が目立った。 通算8本の代打本塁打を記録しており、引退した1964(昭和39)年には球団史上2人目の代打満塁ホームランも記録している。 現役通算は888試合2041打数471安打191打点37本塁打57盗塁326三振で打率.231である。 滝川博已 外野手 和歌山県出身で高校は南部高校。4番センターの中心選手として活躍し、1960(昭和35)年にタイガース入団。最初の背番号は「53」をもらった。非常に珍しい左投右打ちの選手(タイガースではのちに紹介するハロルド・ブリーデンがいる)だった。 入団して3年間は1軍に上がることはなく、4年目の1963(昭和38)年に初めて昇格するが2試合2打数1安打0打点1三振に終わっている。 翌1964(昭和39)年も16試合12打数2安打1打点3盗塁3三振で打率は.167と伸びた様子が感じられない。 1965(昭和40)年には背番号を「21」に変えて臨んだが、21試合6打数1安打で代走要員といった位置づけになっている。 1966(昭和41)年は背番号を「31」に変えて自己最多の57試合に出場する。と言っても48打数7安打3打点で打率.146ではもう戦力外と見做されても仕方がないだろう。シーズンが終わると引退している。 通算では96試合68打数11安打5打点8盗塁22三振で打率.162。プロでホームランは記録できなかった。 山尾孝雄 投手・外野手(再掲) 山尾はすでに「背番号14-3」で紹介済みだが若干の修正をしたうえで再掲する。 大阪府大阪市出身で明星高校から同志社大学に進む。高校時代から投手として活躍。大学3年時に肩を痛め一時はボールが投げられないほどだったが4年時にはある程度回復する。通算55試合に登板して24勝10敗、防御率1.19の好成績を残したが、投手としての伸びしろは失っていたと思われる。 1963(昭和38)年にタイガースへ入団し本間勝から背番号「14」を譲られる。1年目に3試合に投げているが防御率6.30と打ち込まれて自信を無くし、1964(昭和39)年には早々と野手に転向した。 ただし、野手転向といっても簡単ではなく、1968(昭和43)年までの5年間は満足な出場機会に恵まれない状況に甘んじている。この間、1965年まで3年間着けた「14」を本間に返し、1966(昭和41)年から「21」に代えて引退するまで7年間背負っている。 1969(昭和44)年には71試合に出場して初めて100打席を超え、翌1970(昭和45)年は94試合、1971(昭和46)年も98試合とセンターで準レギュラー級として働いた。しかし守備や足は好かったが打撃に関しては目立った成長が見られなかった。 1972(昭和47)年、ドラフト3位で望月充(立教大~大昭和製紙)が入団するとポジションを失い、わずか19試合の出場に終わったことから現役を退いた。 通算10年で448試合に出場、792打数176安打49打点12本塁打7盗塁174三振、打率.222という数字が残る。 投手としては1年5試合0勝1敗、10回を投げ奪三振3、自責点7で防御率は6.30だった。 まとめ 今回の3名を見ると 背番号「21」としては比較的長く着けた人が2人いるよね 横山さんが10年 山尾さんが7年 背番号21の4へ続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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おはようございます😃
朝から激しい風雨で荒れた天気になっていますが、それでも日中の最高気温は20℃になる予報の東京都清瀬市です。 今回のお三方は残念ながら記憶にありません。次回の背番号21を楽しみにしています。 では、素敵な火曜日をお過ごしください😃 (2024年04月09日 10時53分40秒)
ヒロくん2010さんへ
コメントありがとう やっぱりこの3人はご存知なかったのね 在籍が昭和30〜40年代のわりに写真が見つからないのは 現役時代に目立った選手じゃなかったってことね 次回その4では知ってる選手が出てくると思うよ (2024年04月09日 11時13分27秒) |