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「オースチン・ヒーレー 3000Mk-1」 1959年、イギリスで製造されたスポーツカー。 今回は当時イギリスで最大の自動車メーカーだった ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)のブランド オースチン・ヒーレー(オースチン・ヒーリー)を軽く見ていきましょう。
〈カーグラフィックTV - OP〉
オースチンは元々 1905年に設立された自動車メーカーですが 時代とともに傘下企業となったのちもブランドだけは残ることになります。 BMCのブランド時代での有名な自動車の一つは 誰もが一度は見たことがあると思われますが ミニクーパなどで親しまれる 旧型Miniの元祖、オースチンセブン(1956年)です。 そのBMCオースチン部門にいたレナード・ロードと エンジニアのドナルド・ヒーリーによって 1952年に誕生したブランドがオースチン・ヒーレーです。 図は1953年から1959年まで生産された最初のモデルである 「オースチン・ヒーレー100」の後継車「オースチン・ヒーレー3000Mk-1」です。 3000は1959-1961年MK-1から1961-1964年MK-2 そして1964-1967年MK-3まで生産されました。 他にも日本人からは「カニ目」と呼ばれる 「オースチン・ヒーレー スプライト」などが存在します。 正面から見たら 「あははは、ぼくオースチン」 みたいな顔のヤツです。 見たことある方はわかっていただけるかと(* ̄m ̄) 1966年にはBMCとジャガーが合併し ブリティッシュ・モーター・ホールディングスが誕生しましたが 1968年にレイランド・モータースと合併し ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーションとなり エンジニアだったドナルド・ヒーリーは会社をやめてしまいます。 と、まあ BMC関係の歴史は非常にややこしい話で軽くならないので省略しますが (また別の機会に) そのあといろいろあって オースチンブランド自体は2005年以降に 中国の自動車製造グループ「南京汽車」が所有しています。 この自動車メーカーの倒産や合併というのは 国によってさまざまな理由がありますが この頃のイギリスのメーカーでは 1960年代以降、経済が停滞し 社会保険負担の増加などで発生する 労働組合のストライキによる生産効率の悪化や 勤労意欲低下による技術の停滞などと同時に 低価格と信頼性の高い日本の自動車が進出したことも重なり 国内メーカーが生き残れなくなったたことが 理由の一つとして考えられています。 一方、現在の日本では若者の車離れが懸念されていますが 収入の不安とか駐車場がないとか MT車が減ったとかさまざまな意見があるようです。 私としてはいつも述べますが 単純にほしいと思えるようなカッコイイ車がないからだろ! と思ってます。(私見) 私なら10万で新車のプ××ス(一応)か30万で走れるレトロ車か どっちか売ってやると言われたら 間違いなく後者を選びますけどね。 (燃費悪いですけど)
そんなところで今回はここまで! ごきげんよう/お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.05.27 17:10:25
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