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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2017.08.12
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カテゴリ:正岡子規

 
   無花果ニ手足生エタト御覧ゼヨ(明治34)
 明治34(1901)年9月9日、正岡子規の病床に川崎(のちに原)安民が訪れ、自ら鋳造した蛙の置物を渡しました。翌日、子規は『仰臥漫録』に、「この蛙の置物は前日安民のくれたるものにて安民自ら鋳たる也」と書き、絵を添えました。高さ7cmの実物大で正面と背面が描かれています。この句は、蛙の置物を説明するためのもので、なるほど、無花果のような形をしています。
 

 
 安民は、香取秀真や画家の横山大観、下村観山らと同窓で、岡倉天心を師と仰ぎ、のちに天心が創刊した「日本美術」の編集をまかされて、日本美術社社主となりました。妻の原千代女は明治11(1878)年、神戸の大島家に生まれ、京都府立高等女学校から東京の女子美術学校に進み、父方の祖父に当たる「原」の姓を継ぎました。子規からは俳句を、落合直文からは短歌と国文学を学び、明治40(1907)年に鋳金家の川崎安民と結婚し、養子に迎えました。安民は60歳、千代女は86歳で天寿を全うしています。
 
 無花果は、クワ科の落葉小高木で、小アジア原産です。日本に伝えられたのは江戸時代で、『大和本草』には「寛永年中(1624〜44)西南洋の種を得て長崎に生う。今諸国にこれあり」、『庖廚備用倭名本草』には「その肉虚軟なるをとりて塩につけ、あるいはおしひらめ日に乾かして果に食す。熟すれば紫色なり。柔燗にして味わい柿の如し。核(たね)なし。元升曰く長崎にこの果あり。俗にナンバンカキという」と記されています。また「蓬莱柿」という名前でも呼ばれていました。
 無花果はペルシャ語の「アンジール」が中国で「映日果(インジェクォ)」となり、日本に伝わって「イチジーク」と発音されるようになったという説があります。また、果実の発達が早く、1か月で熟すことや1日に1果ずつ熟すことから「一熟(いちじゅく)」と呼ばれ、それが転訛ともいわれます。
「無花果」と表記されるのは、一見すると花が咲かずに実がなるところからきています。
 

 
 無花果は、西洋において人間ととても関わりの深い果物でした。『旧約聖書』では、知恵の実を食べたアダムとイブは、自分たちが裸であることに気づき、無花果の葉をつなぎ合わせて腰に巻いたとされています。また、もともと知恵の木は無花果のことを指していましたが、のちにリンゴに変わったといい、欲望の象徴ともされていました。
 古代ギリシアでは、乾燥させた無花果が甘みを感じさせるものとして珍重され、哲学者のプラトンも大好物だったといいます。
 

 
 江戸時代に日本に入ってきた無花果は、習俗の中にも組み入れられました。
 無花果の葉は切れ込みが多く、山伏や修験者が持つ羽団扇の形に似ていることから、呪力を持つと信じられました。また、枝や葉を折って出る乳液を痔の薬としたり、葉を乾燥させ煎じて飲むと解熱剤としての効能があるとされ、疫病にかからなくなるともいわれます。
 「無花果」と書くことから、出世しない、子孫が途絶える、家の前に植えると病人が出るなどともいわれ、「縁起が悪い」木とされます。これは、無花果の根が広がりやすいことや、大きな葉が陽を遮ることが嫌われた理由で、「屋敷に無花果を植えるな」ともいわれています。
 一方、木を植えてから2年ほどで結実することから、「子宝に恵まれる」ともいわれます。
 まさに「鰯の頭も信心から」。無花果をどう捉えるかで、吉か凶かが判断されるということでしょう。
 
   無花果や八百屋の裏にまだ青し(明治27)
   無花果や桶屋か門の月細し(明治27)
   黒板塀無花果多き小道かな(明治27)
   無花果の鈍な枯れ樣したりけり(明治27)
   無花果の落ちてもくれぬ家主哉(明治33)





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最終更新日  2017.08.12 08:49:07
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