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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2017.10.02
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カテゴリ:正岡子規

 
 明治34(1901)年9月20日、子規は『仰臥漫録』で、「例えば『団子が食いたいな』と病人は連呼すれども彼はそれを聞きながら何とも感ぜぬ也」と、妹・律に怒っています。
 「食べたいな」と呟いた団子を律が買ってこないことに腹を立てた子規は、律を「理窟づめの女也。同感同情のなき木石の如き女也」と怒りを筆先に向け、思い浮かぶままに律を非難しています。
 
 律は理窟づめの女也。同感同情のなき木石の如き女也。義務的に病人を介抱することはすれとも同情的に病人を慰むることなし。病人の命ずることは何にてもすれとも婉曲に諷したることなどは少しも分らず。例えば「団子が食ひたいな」と病人は連呼すれども彼はそれを聞きながら何とも感ぜぬ也。病人が食いたいといえば、もし同情のある者ならば直にて食わしむベし。律に限ってそんなことはかつて無し。故にもし食いたいと思うときは「団子買うて来い」と直接に命令せざるべからず。直接に命令すれば、彼は決してこの命令に違背することなかるベし。その理窟っぽいこと言語同断〔道断〕なり。彼の同情なきは、誰に対しても同じことなれとも、只カナリヤに対してのみは真の同情あるが如し。彼はカナリヤの籠の前にならば、一時間にても二時間にても只何もせずに眺めておる也。しかし病人の側には少しにも永く留まるを厭う也。時々同情ということを説いて聞かすれども、同情のない者に同情の分る筈もなければ何の役にも立たず。不愉快なれども、あきらめるより外に致方もなきことなり。(仰臥漫録 明治34年9月20日)
 
 ところが、翌日になると「律は強情なり。人聞に向って冷淡なり」と怒ってはいるものの、次第に矛先が看病人としての律に向かいます。律がいないと子規の看病は子規の家計では不可能になることを悟った子規は、律を「兄の看病人となるべき運命を持ちしためにやあらん」とも綴っています。
 
 律は強情なり。人聞に向って冷淡なり。特に男に向ってshyなり。彼は到底配偶者として世に立つ能はざるなり。しかもそのことが原因となりて、彼は終に兄の看病人となりおわれり。もし余が病後彼なかりせば、余は今頃如何にしであるべきか。看護婦を長く雇うが如きは我能く為す所に非ず。よし雇ひ得たりとも、律に勝る所の看護婦、即ち律がなすだけのことをなし得る看護婦あるべきに非ず。律は看護婦であると同時に、お三どんなり。お三どんであると同時に、一家の整理役なり。一家の整理役であると同時に余の秘書なり。書籍の出納原稿の浄書も不完全ながらなしおるなり。しかして彼は看護婦が請求するだけの看護料の十分の一だも費やさざるなり。野菜にでも香の物にでも何にでも、一品あらば彼の食事はおわるなり。肉や肴を買うて自己の食料となさんなどとは、夢にも思はざるが如し。もし一日にでも彼なくば、一家の車はその運転をとめると同時に余は殆んど生きておられざるなり。放に余は自分の病気が如何ように募るとも厭わず。ただ彼に病なきことを祈れり。彼あり余の病は如何ともすべし。もし彼病まんか彼も余も一家もにっちもさっちも行かぬこととなるなり。故に余は常に彼に病あらんよりは余に死あらんことを望めり。彼が再び嫁して再び戻り、その配偶者として世に立つこと能はざるを証明せしは、暗に兄の看病人となるべき運命を持ちしためにやあらん。禍福錯綜人智の予知すべきにあらず。(仰臥漫録 明治34年9月21日)
 
『仰臥漫録』に俳句を書き付けた後、子規は再び、律を「彼は癇癪持なり。強情なり。気が利かぬなり。人に物問うことが嫌いなり。指先の仕事は極めて不器用なり。一度きまったことを改良することができぬなり」と再び非難します。そして、自分がこの世にいなくなった後の律を思いやるのです。
 
 彼は癇癪持なり。強情なり。気が利かぬなり。人に物問うことが嫌いなり。指先の仕事は極めて不器用なり。一度きまったことを改良することができぬなり。彼の欠点は枚挙にいとまあらず。余は時として彼を殺さんと思うほどに腹立つことあり。されどその実彼が精神的不具者であるだけ、一層彼を可愛く思う情に堪えず。他日もし彼が独りで世に立たねばならぬときに、彼の欠点が如何に彼を苦しむるかを思うために、余はなるべく彼の癇癪性を改めさせんと常に心がけつつあり。彼は余を失いしときに、果たして余の訓戒を思い出すや否や。(仰臥漫録 明治34年9月21日)
 
 しかし、律をそうしているのは他ならぬ子規自身であることに気づきます。わがままと分かっていながら、親族にしか八つ当たりできないことがわかっても、どうしようもない子規なのです。このように陥ることを、人格者である陸奥福堂や高橋自恃でも妻を叱りつけたことがあると、いささかの恥を抱きながら、癇癪は病気のせいだと自己弁護とも責任転嫁とも取れぬ呟きを漏らします。
 
 病勢激しく苦痛募るに従い、我思うとおりにならぬため絶えず癇癪を起こし人を叱す。歌人恐れて近づかず。一人として看病の真意を解する者なし。
 陸奥福堂高橋自恃の如きも病勢つのりて後はしきりに細君を叱りつけたと。(仰臥漫録 明治34年9月21日)
 
 この後の『仰臥漫録』には「三人集まって菓子くう」とあります。子規の癇癪は、なんとか収まり、家族団欒の日々が続いたようです。
 

 
 この怒りの遠因となった団子は、根岸の「芋坂団子」=「羽二重団子」です。『仰臥漫録』9月4日の間食に「芋坂団子を買来らしむ(これに付悶着あり)」と記述されていますから、子規の怒りはその悶着の結果ということです。
 河東碧梧桐の『子規の回想』には「芋坂団子」の章があり「団子は五粒(本当は四個)ずつ串にさしてある。あんをつけたのと、つけ焼きにしたのと二通り。よくどっちがうまい、などと品評したりした」とあります。
 
 羽二重団子のことは、​こちら​にも書かれています。





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最終更新日  2017.10.02 07:07:04
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