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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.08.06
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カテゴリ:夏目漱石

  
『吾輩は猫である』の11章に、フィンガーボールについての話が出てきます。ある兵営で、フィンガーボールを使うのに慣れていない下士官が飲み水と間違えてそれを飲んだとき、連隊長はそのことを下士官が恥じないように自らがフィンガーボールを飲んで乾杯。一座の兵隊たちもそれに倣ったというのです。その前には、イギリスのエドワード七世がインドへ行ったとき、王族がその国の習慣で、王子の前ながら、ついジャガイモを手づかみで食べたのに気づき顔を赤らめていると、王子は自らも手づかみでジャガイモを食べたという話を紹介しています。
 
 この話は、漱石が得意とするものでした。教え子の鶴見祐輔が記した『一高の夏目先生』に、第一高等学校の講師・漱石の話として出てきます。
「デリケート」を説明するときの話として、王子が手づかみでした食事の話は、機転の効いたものですが、下士官の間違いに気がついた連隊長は、自分もその行為をまねることによって、下士官の失敗を満場に晒したことになります。
 同じような形をとりながら、相手を思いやる行動は、まったく違うものになってしまうという例として話したというのです。
『吾輩は猫である』でも、こうした思いやりに似たことは、互いの間を殺伐としたものにすると書いています。「ちょっと見るとごくしずかで無事なようだが、御互の間は非常に苦しいのさ。ちょうど相撲が土俵の真中で四つに組んで動かないようなものだろう。はたから見ると平穏至極だが当人の腹は波を打っているじゃないか」とあり、そうした行為が、優越感に発したものであれば、それは醜いものだと、漱石はいうのです。
 

 
「苦沙弥君の説明はよく我意を得ている。昔の人は己れを忘れろと教えたものだ。今の人は己れを忘れるなと教えるからまるで違う。二六時中己れという意識をもって充満している。それだから二六時中太平の時はない。いつでも焦熱地獄だ。天下に何が薬だと云って己れを忘れるより薬なことはない。三更月下入無我にいるとはこの至境を咏じたものさ。今の人は親切をしても自然をかいている。英吉利イギリスのナイスなどと自慢する行為も存外自覚心が張り切れそうになっている。英国の天子が印度(インド)へ遊びに行って、印度の王族と食卓を共にした時に、その王族が天子の前とも心づかずに、つい自国の我流を出して馬鈴薯(じゃがいも)を手攫(てづか)みで皿へとって、あとから真赤になって愧じ入ったら、天子は知らん顔をしてやはり二本指で馬鈴薯を皿へとったそうだ……」
「それが英吉利趣味ですか」これは寒月君の質問であった。
「僕はこんな話を聞いた」と主人が後をつける。「やはり英国のある兵営で聯隊の士官が大勢して一人の下士官を御馳走したことがある。御馳走が済んで手を洗う水を硝子鉢へ入れて出したら、この下士官は宴会になれんと見えて、硝子鉢を口へあてて中の水をぐうと飲んでしまった。すると聯隊長が突然下士官の健康を祝すと云いながら、やはりフィンガー・ボールの水を一息に飲み干したそうだ。そこで並いる士官も我劣らじと水盃を挙げて下士官の健康を祝したというぜ」
「こんな噺はなしもあるよ」とだまってることの嫌いな迷亭君がいった。「カーライルが始めて女皇に謁した時、宮廷の礼に嫻わぬ変物のことだから、先生突然どうですといいながら、どさりと椅子へ腰をおろした。ところが女皇の後に立っていた大勢の侍従や官女がみんなくすくす笑い出した――出したのではない、出そうとしたのさ、すると女皇が後ろを向いて、ちょっと何か相図をしたら、多勢の侍従官女がいつの間まにかみんな椅子へ腰をかけて、カーライルは面目を失わなかったというんだが、随分御念の入った親切もあったもんだ」
「カーライルのことなら、みんなが立ってても平気だったかも知れませんよ」と寒月君が短評を試みた。
「親切の方の自覚心はまあいいがね」と独仙君は進行する。「自覚心があるだけ親切をするにも骨が折れる訳になる。気の毒なことさ。文明が進むに従って殺伐の気がなくなる、個人と個人の交際がおだやかになるなどと普通いうが大間違いさ。こんなに自覚心が強くって、どうしておだやかになれるものか。なるほどちょっと見るとごくしずかで無事なようだが、御互の間は非常に苦しいのさ。ちょうど相撲が土俵の真中で四つに組んで動かないようなものだろう。はたから見ると平穏至極だが当人の腹は波を打っているじゃないか」(吾輩は猫である 11)
 
 ある時一人の生徒が、デリケートという字の意味を訊いた。
「そうだね。この字は全く、日本語になり悪い字だね。そう、こういう話がある。今から何年か前にね、英国のエドワード七世が、まだヴィクトリア女王の皇太子で居られたときにね、印度をご訪問になったことがある。印度太守が、ある夜、盛大な宴会を開いて、皇太子をお招きしたんだね。そのとき印度のある国の王様が、正客で、その次席が皇太子ということになったんだね。食卓につくと、色々の料理が出てきた。英国風に大きい皿に肉を盛って給仕が持ってきた。先ず正客の印度王に給仕人が、その大きい皿を持っていった。すると、その王様が血のうちの肉叉(にくさじ)と小刀(ナイフ)とを使わずに、手づかみで、皿の中から肉を攫み出して、自分の皿の上に置いた。置くときに気がついて、サッと顔色を変えたんだね。けれども、もう仕方がない。その次に、給仕人が、その大きい肉の皿を、英国皇太子に持ってゆくと、皇太子は隣席の人と話しをし乍ら、さりげなき風に、手づかみで、また肉を取って自分の皿の上に置いた。そこで、その次の人も、次の人も、みんな手づかみで肉を取った。ところが、肉を手づかみにするのは、印度の食事の式なんだね、だから、この夜の宴会は英国式をやめて、皆なが印度式で行ったわけなんだね。それが英国皇太子の突嗟の機転から来たんだね。
 もう一つ、こういう話がある。それは、ある時、たしか南阿戦争中の出来事と憶えているが、ある軍曹が戦場で抜群の功績を顕わしたんだね。そこで、彼の名誉を表彰するために、師団長が、旅団長、聯隊長、その他の将校をみんな集めて、本営で宴会を開いて、この軍曹を正賓にして歓待したんだね。食事が終って、果物が出るときに、果物皿の上に、フィンガー・ボールが出たんだね。え、知ってるだろう。ガラスの小椀に水を盛って出すんだね。手を洗うためだね。ところが、この軍曹は、卑賎の生れであったから、フィンガー・ボールというものを、知らなかったんだね。そこで、うっかり、その小椀を取りあげて、グッと、水を一口飲んで、飲み乍ら、ハッと気が付いたんだね。これは仕舞った。飲む水ではないな、と、そう思って顔を赤くしたんだね。師団長はこれを見て見ぬふりをして居た。そうして、暫らくして、立って挨拶を初めたんだね。軍曹の功績を賞讃して、我が師団の名誉である、とか何んとか、まあそう言った演説をしたんだね。そうして、その演説の終りに、この師団長は、それでは諸君、この某々軍曹の健康を祝う為めに、杯を挙げようでは、ありませんか、と言って、自分のフィンガ一ボールを取り上げて、ぐっと飲んだんだね。するとみんなが、同じようにフィンガー・ボールを取りあげて飲んだ。すると、件の軍曹は耳の根まで赤くして恥じ入って仕舞った、というんだよ。
 この二つの話の区別が解るかい。この区別が、デリケートなんだよ。ね、英国皇太子のされたことは、実に美事な機転だったんだね。いいかい、それは、肉叉をつかえば英国の礼式、手づかみにすれば、印度の礼式。そこで、印度の王様は初めは、間違えたんだが、それを皇太子はわざと、印度の礼式で王様が手づかみにされたように、取りなしたから、その晩は印度式の宴会になったんだね。ところが、この師団長は軍曹のしくじりを取りなす積りであったのだが、フィンガー・ボールの水を飲む礼式は、どこの国にも無いんだね。それを、態々(わざわざ)演説の折に飲んで見せたんだから、軍曹の恥を明るみにさらけ出したんだね。この二つの話は、実によく似た話で、実はまるで違う話なんだね。賢愚相距る三十里さ。いいかい、こういう区別を、デリケートというんだよ」(一高の夏目先生 鶴見祐輔)





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最終更新日  2018.08.06 00:10:08
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