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カテゴリ:夏目漱石
漱石の絵の先生は一回りも若い津田青楓で、漱石の小説『道草』『明暗』や、森田草平の『十字街』などの装丁を手がけています。漱石は、青楓に刺激され、画作に取り組むようになりました。最初は油絵でしたが、それに飽き、日本画を始めるようになりました。 青楓は著書『漱石と十弟子』に「拙を守る限界というものが素人としての誇りを保つ所以にもなる。先生は専門的よりも素人であることを誇りとしていられるかに見られた。……漱石先生はこういう意味において、字も書も素人のいきを脱していられなかった」と書いています。 漱石は熱心に書や画に耽りました。長男の純一は、『父と周辺』にそのことを綴っています。 父が絵を描いているのを見た記憶がある。書斎の廊下に坐りとんで、午後絵を描いているのを、たびたび見た。山水などを描いているときには、いかにも楽しそうに、一枚の絵を幾日もかかって描いたようだ。きぬかつぎのような形の山、そこに滝があったり、道が見えかくれしている。松の木がへんな形で描いてあったり、馬や人がいる。たぶん、そういうことをしているときは、大変気持がよかったのだろうと思う。いろいろな人が、父からそれらの絵を貰っていったようだが、家にはほとんど残っていなかった。字を書くこともあった。父の絵や字は、立派なものだという人がある。後年ぼくが教わった小学校の先生に会ったところが、「お前がお父さんの絵のことを書いた作文をおぼえている」といった。それによると、ぼくが、「父はよく絵を描きます。あまりうまくないのです。ぼくがそんなの上手でないだろうといったら、父は『おれが名を書くと、みんながほしがるんだよ』といった。(父と周辺 夏目純一) 妻の鏡子は、漱石の書画を描くときの様子を記しています。出来が悪いとビリビリと引きちぎるのです。 しかしいくらお稽古のつもりでも、人にやるのだからあまりみっともないものはやりたくないぐらいの気はあるのに、黙っていると書き損じでも何でも持って行かれるので、そこでできの悪いもの気に食わないものは絶対にやらないというので、そういうものは書いた後から見てる前で千切ったりなんかしてしまいます。また素人のことですから、絵なんかもおもしろ半分で描いてるうちに、だんだんああでもない、こうでもないと欲が出てきていじくっていると、そのうちに気にいらなくなります。とビリビリと破ってしまうので、絵がいいかげんにできかけて形をなして来ると、ああ、おもしろい、よくできました、もうそれでいいですなんかと、描いてもらうほうはひやひやしながら早くよさせようよさせようとしたものです。しかし夏目のほうではなかなかこれでいいと自分の得心の行くまでは人手に渡しゃしません。そうして結局引き千切るようなことにするのでした。(夏目鏡子 漱石の思い出 58 晩年の書画) 鏡子は、漱石が他人には何枚も書画を描いてやるのに、家族には何もくれないとぼやいたことがあります。すると、漱石は書を渡したのですが、どこか気に入らないところがあったのか、書き直すといいます。鏡子はまた破って何もくれないのではないかと危惧したのですが、漱石は約束通り鏡子に書を渡しました。 人様のためにはいくらでも頼まれればおきするのに、私はまだ何も書いてもらったものがありません、そこで私にも一枚何が書いてくださいと頼みますと、どうするんだと尋ねます。いずれ家でも建てたら、自分の部屋へ掛けておくのに書いてくださいと申します。とその家の建つのはいつのことかなどと言ってそれでも書いてくれました。私は見ずに巻いたまま箪笥の中に入れておきました。 すると床へつくほんの数日前のことでございましたが、いつぞやおまえにやったあの書を出しなさい、あれはできが悪いから書きなおしてやると申します。しかし出したらその場で引き千切られるにきまっておりますので、いやです、出すとやぶかれるんですものと否みますと、だいじようぶ、きっと約束した、すぐ書きかえてやるからと申します。しかたがないので出しますと、それを持って行ってじき代わりに書いてくれました。それをそのまままた元の箪笥にしまい込んでおきました。亡くなってからそれを思い出してひろげてみますと、一枚かと思ったら二枚で、自分の詩を全紙に書いておいてくれたのでした。(夏目鏡子 漱石の思い出 58 晩年の書画) 長女の筆子は、父からもらった絵を部屋に飾っていたら、欲しがる人がいたのであげてしまいました。漱石はそのことを知ると、手慰みのものを人にやるとは何事かと怒り、部屋にあった絵を引きちぎってしまいました。それからは、子供に書画を渡すことはなかったといいます。 機嫌のいい時は父は時々どうかすると私たちの部屋をのぞきました。そうして絵を描いていたりしていると下手だな一つ描いてやろうかなどとダーリヤなどを描いてくれたことがございます。或る時私たちの部屋に父の描いた絵を沢山貼りつけて置いたことがございました。その時代よく遊びに来た親戚の者や若い人たちが、呉れないかと申しますので何気なしにやってしまいますと、いつの間にか四、五枚へりました。それを知った時父は非常におこりまして、下手だからお前達のものにやったのに、人にやるとは何事ですか、お父様の恥晒しになりますといってひどく叱られました。そしてすぐに一枚残らず自分の手で破いて了ったことがございます。父は書きためた書画屑を年末にもすのを習慣にして、書いても気に入らないと書いてもすぐその場で破りました。それ以来父の絵は一切私たちには貰えなくなりました。(父漱石 松岡筆子)
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最終更新日
2018.08.16 00:10:09
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