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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.08.15
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カテゴリ:正岡子規

 
   日がくれて踊りに出たり生身玉(明治25)
   生身魂我は芋にて祭られん(明治26)
   生身魂七十と申し達者也(明治28)
 
「生身玉(いきみたま)」は、「生身魂」ともいい、生きている親に対して生きた魚を贈る習慣です。この行事は、お盆前の7月15日に行われるといい、盂蘭盆が死者の魂を祀るのに対した、「生身玉」は親への感謝とともに生魚を贈って祝います。
 
 三省堂の『年中行事事典』には「盆を迎えるにあたり、健在な両親に食物などを贈って祝うこと。生御魂・生御玉などの字も当てられる。盆は一般に、先租霊や無縁霊を供養する魂祭りの機会だと理解されているが、生見玉は生きている親に対する一種の供養である点が特異である。死者供養でないことを強調して、婚出した子供がことさら生臭物である魚を持って両親のもとを訪れる例が多い。古い信仰では、御魂には生者のものと死者のものがあると考えられていた。仏教がそのうちの死者の御魂供養に関与して仏事としての盆行事を成立させたのに対し、初秋の閉じ時期に死者の被れを離れ現存の親を拝して息災を祝う生見玉は、生き盆と称すべきものである。しばしば正月と盆は一年を両分して営まれる類似の行事だと説かれるが、正月にも両親健在な者が餅を持って里帰りする習俗が全国に広く分布しており、生見玉はこれに対応する盆の行事である」と書かれています。次の項目は「盆魚」で「親の健在なものが盆行事に用いる魚。さば(散飯)という語の連想からか、鯖、とくに刺鯖の例が多い。盆は仏事とみなされているため、一般には魚類を用いないが、両親健在な者だけ魚食することが、すでに鎌倉時代初期にはあった(『明月記』天福元年)。このような魚食や釣りに出て殺生することは、江戸後期や明治・大正期には全国におよんでおり、盆とはいえ、両親健在な者はわざわざ仏事に服す必要のないことを示すものであろう。同時にまた、鯖・飛魚などの魚を持って健在な親の所を訪ねることも広く行なわれており、これをイキミタマ(生見玉・生御魂)と呼んでいる例の多いことから、盆魚の風習は、元来は初秋のこの節目に子供たちが新精霊の死者の穢れから離れて、健在な両親を養い孝養をつくす一方法だったかと解されている」と記されています。
 

 
 つまり、「盆」が祖霊という死者を供養するものに対し、「生身玉」はまだ生きている親に感謝の気持ちを伝えるため、生臭い魚を贈って命のあることを確認するというのです。
 この日に鯖が用いられるのは、「さば=散飯」という語呂合わせで、栄養価の高い魚肉を食べて暑さを乗り切るという方法を行事に取り入れたとも考えられます。「刺鯖」は、鯖の内臓を取り去り塩漬けにしますが、鯖の頭をもう一匹の鯖のエラの間に差し入れて対の状態にし、それを白い紙でチガヤを巻いたもので結びます。「刺鯖」の名前は、二枚重ねた鯖を「一刺」と呼んだことにちなみます。
 
   何とせん母痩せたまふ秋の風(明治27)
   行く年を母すこやかに我病めり(明治29)
   母ト二人イモウトヲ待ツ夜寒カナ(明治34)
   皸や母の看護の二十年(明治34)
 
 7月15日、正岡家の食卓に鯖は登場したでしょうか?





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最終更新日  2018.08.15 00:10:06
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