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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2019.08.19
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カテゴリ:夏目漱石
「まだ音がしないもので露見したことがある。僕が昔し姥子の温泉に行って、一人のじじいと相宿になったことがある。何でも東京の呉服屋の隠居か何かだったがね。まあ相宿だから呉服屋だろうが、古着屋だろうが構うことはないが、ただ困ったことが一つ出来てしまった。というのは僕は姥子へ着いてから三日目に煙草を切らしてしまったのさ。諸君も知ってるだろうが、あの姥子というのは山の中の一軒屋でただ温泉に這入って飯を食うよりほかにどうもこうも仕様のない不便の所さ。そこで煙草を切らしたのだから御難だね。物はないとなるとなお欲しくなるもので、煙草がないなと思うやいなや、いつもそんなでないのが急に呑みたくなり出してね。意地のわるい事に、そのじじいが風呂敷に一杯煙草を用意して登山しているのさ。それを少しずつ出しては、人の前で胡坐をかいて呑みたいだろうといわないばかりに、すぱすぱふかすのだね。ただふかすだけなら勘弁のしようもあるが、しまいには煙を輪に吹いて見たり、竪に吹いたり、横に吹いたり、ないしは邯鄲夢の枕と逆に吹いたり、または鼻から獅子の洞入、洞返りに吹いたり。つまり呑みびらかすんだね……」
「何です、呑みびらかすというのは」
「衣装道具なら見せびらかすのだが、煙草だから呑みびらかすのさ」
「へえ、そんな苦しい思いをなさるより貰ったらいいでしょう」
「ところが貰わないね。僕も男子だ」
「へえ、貰っちゃいけないんですか」
「いけるかも知れないが、貰わないね」
「それでどうしました」
「貰わないでぬすんだ」
「おやおや」
「奴さん手拭をぶらさげて湯に出掛けたから、呑むならここだと思って一心不乱立てつづけに呑んで、ああ愉快だと思う間まもなく、障子がからりとあいたから、おやと振り返ると煙草の持ち主さ」
「湯には這入らなかったのですか」
「這入ろうと思ったら巾着を忘れたのに気がついて、廊下から引き返したんだ。人が巾着でもとりゃしまいし第一それからが失敬さ」
「何ともいえませんね。煙草の御手際じゃ」
「ハハハハじじいもなかなか眼識があるよ。巾着はとにかくだが、じいさんが障子をあけると二日間の溜め呑みをやった煙草の煙りがむっとするほど室のなかに籠ってるじゃないか、悪事千里とはよくいったものだね。たちまち露見してしまった」
「じいさん何とかいいましたか」
「さすが年の功だね、何にも言わずに巻煙草を五六十本半紙にくるんで、失礼ですが、こんな粗葉でよろしければどうぞお呑み下さいましといって、また湯壺へ下りて行ったよ」
「そんなのが江戸趣味というのでしょうか」
「江戸趣味だか、呉服屋趣味だか知らないが、それから僕は爺さんと大いに肝胆相照して、二週間の間面白く逗留して帰って来たよ」(吾輩は猫である 11)
 
『吾輩は猫である』で、寒月の言葉に登場する「姥子の温泉」は、明治23(1890)年8月20日より9月上旬の20日間、眼病に悩んでいた漱石が湯治したところです。
 当時、漱石はトラホームを患っていました。トラホームは、ナポレオンが遠征の際にエジプトから持ち帰ったという眼炎でした。世界中に広がったこの眼炎が日本に蔓延するのはペリーの黒船来航以来で、ひどくなると失明に至りました。
 現在、トラホームは菌による伝染病で、抗生物質の投与ですぐに治りますが、当時は眼病のうちでも罹患率の高い病気でした。
※漱石とトラホームは​こちら
 

 
 この年、漱石は正岡子規宛てに眼病について書かれた手紙をいくつか送っています。7月20日に「何の因果か女の祟りか、この頃は持病の眼がよろしくない方で読書もできず、といって執筆はなおわるし」、8月9日には「爾後眼病とかくよろしからず。それがため書籍も筆硯も悉皆放抛の有様にて長き夏の日を暮しかね、やむをえずくくり枕同道にて華胥の国黒甜の郷と遊びあるきおり候えども、未だ池塘に芳草を生ぜず、腹の上に松の木もはえずこれと申す珍聞も無之、この頃ではこの消閑法にもほとんど怠屈仕候。といって坐禅観法はなおできず、瀹茗(やくめい)漱水の風流気もなければ、仕方なくただ『寝てくらす人もありけり夢の世に』などと吟じて独り洒落たつもりの処、痩我慢より出た風雅心と御憫笑可被下候。しかし小生の病はいわゆるずるずるベったりにて善くもならねば悪くもならぬといふ有様」と送り、8月下旬の手紙には、「君の説諭を受けても浮世はやはり面白くもならず。それ故、明日より箱根の霊泉に浴し、またまた昼寝して美人でも可夢候」と、姥子温泉へ湯治にいくことを報告しています。
 
 姥子温泉には、金太郎(坂田金時)が子供の頃に枯れ枝で目を傷つけて失明しかけたとき、箱根権現のお告げに従ってこの温泉で目を洗ったところ完治したという伝説があります。この地には金太郎の母親とされる姥を祀った山姥堂もあり、姥子温泉の「姥」は「山姥」で、「子」は金太郎というのが、この温泉の名前の由来なのです。
 泉質は単純温泉・アルカリ性単純温泉ですが、成分にナトリウムやマグネシウム、カルシウムなどのイオンのほか、塩素、硫酸、硝酸といった殺菌性の強いイオンやメタケイ酸、メタホウ酸を含んでいます。メタケイ酸は美人の湯と呼ばれる温泉に含まれる保湿成分、メタホウ酸は目に酸性やアルカリ性の異物が入ると中和してくれるため、痛みの緩和や制菌剤としての効果があり、目の病気に効くというのもうなづけるところです。
 当時の眼医者は、目を洗って汚れを取り去ることで目を清潔に保つというのが主な治療でしたから、このような成分を含む温泉は、目の治療に役立ったのでしょう。
 
 姥子温泉で、当時の湯治場の雰囲気をとどめるのは「秀明館」ですが、残念ながらこの旅館の創業は明治35(1902)年で、漱石が当時した頃、その姿はありませんでした。





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最終更新日  2019.08.19 19:00:09
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