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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2020.01.15
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カテゴリ:正岡子規
 子規が編集長となった「小日本」は、社内の好評にも関わらず部数があまり伸びませんでした。日清戦争を目前に控えたこの時期、本体の「日本」が政府批判の論陣を張ると、すぐに発行停止となりました。代わって「小日本」が内閣批判を行えば、これも発行停止。経済的に成り立たなくなった「日本」新聞は、「小日本」の廃刊を決定しました。紀元節に誕生した「小日本」は、7月15日の盂蘭盆にその命を終えました。
 子規は、活躍の場を「日本」新聞に移します。
 明治27年8月28日の「日本」新聞に発表された『王子紀行』は、子規が内藤鳴雪と中村不折を伴って、王子権現の祭礼に出かけた折の紀行文です。王子権現の祭礼は8月上旬の3日間に行われるもので、田楽舞が有名でした。子規は、不折に絵と俳句の腕競べを持ちかけ、王子権現、滝野川(=音無川)を巡りました。
 

 
 王子神社の例大祭は「槍祭」とも呼ばれます。「槍祭」の名前は神社古伝のおまもりが槍の形をしているためで、「御槍」を授かれば「満願成就」と伝えられています。1年ごとに本祭と陰祭とが行われ、本祭の年には多くの神輿が巡行します。 
 平出鏗二郎著『東京風俗志』「王子神社大祭」には「北豊嶋郡王子村の王子神社(郷社。祭神・伊弉冉尊=伊邪那岐命、速玉之男神、泉津解之男神)の大祭は既に説くがごとく、八月十三日に執行す。俗に鎗(やり)祭、また鬢筰(びんざさら)の祭と称う。田楽の神事ありて、都人のこれに詣りて観んとする者少からざれば、特にここに大畧を述ぶべし。その式は黒革胴の甲(よろい)に桃形の胄(かぶと)を着けたる武者二人、四尺余の大太刀七本を、腰の左右に分ちて負い、一は蒲を束ねて挿物とし、ーは幣吊を挿物として、手々に薙刀を抜きて出で、後に楽童八人従う。前なる二人は紙にて作れる異様の烏帽子を被り、後の六人は花笠めきたるを被りて、鬢筰を持てり。何れも素袍を着、腰に鼓をつく。さて舞楽殿に上りて、武者は太刀を抜きて立ち並び、楽童は神官の笛太鼓を吹き鳴らすにつれて、左右二列に分れて舞うなり。その舞面白しというにはあらねど、いと珍らかに古体なり。その番組に中門口、道行腰筰、背摺腰筰、中居腰筰、三拍子腰筰、黙礼腰筰、捻三度、中立腰筰、搗筰、筰流、子魔帰の十二番番ありといえり。俚俗この楽童の花笠を得るものは災厄を払い、幸福を亨くべしといい伝えたれば、観る者これを奪わんとし、舞楽まさに終らんとするや、呼譟して乱入し、相つかんで争奪するに至る。またこれに鎗祭の称あるは、この日拝殿に小さき鎗を出し置けるを参拝の人、火難、盗難を除くの効ありとて、各持ち帰り、来る年の当日に至り、新たに一本を造りて返し納むる習いあればなり」と、王子権現の祭りが大きな賑わいを見せていることを伝えています。
 
 去る十三日のその日、もはや七つ下りの頃、鳴雪翁われをおとずれて王子の祭見に行きやなんやといわれ、不折子をも伴い、翁に供して上野に至る。余不折子に向いて戯れに、今日の遊び、画と俳句と腕を競べんかという。不折子曰く、諾と。忍川にタ飼したたむ。
   初秋の食に魚なし京の町  鳴雪
 汽車上野を発す。
   早稲の香や小山にそふて汽車走る
 王子権現に詣ず。老杉雲に聳えて木の間に露店を連ね、児童四五宮を廻りて戯れるさま、祭りとは見ゆれど、田楽などあるべきようにもあらねば、茶店の婆々殿に尋ぬれば、今日は田楽なしという。社殿に花笠など、その面影ばかりを残したり。
   初秋の石壇高し杉木立
   一日の秋にぎやかに祭りかな
   祭見に狐尾花かざし来よ
   杉高く秋のタ日の茶店かな
 田楽見ぬもまた風流なりと、御社の正門を出で、瀧の川に向う。途上日暮れなんとして田舎めきたる、あわれなり。
   唐黍に背中打たるゝ湯あみかな
     瀧の川人絶えて蝉蜩の声山にひゞきぬ。
   蜩や杉の葉重ね路凹し
   蜩の茶屋静かなる木の間かな
 不折子、洞窟のほとりにたたずみて、真景三四枚を写す。終りて渓頭の茶店に憩う。十三日の月は対岸老樹の間に、隠現す。山光水色模糊として燈火烟の如し。端無く翁と俳句を論ず。口に泡を吹き肩に山を聳えしむ。議論数時間に渉り、弁舌山神を驚かす。不折子、独り欄に倚りて写生す。聞かざるものの如し。
   議論とて秋の団扇を手のちから
   声のひとり月にぞ向ひける
   茶屋あらはにともし火立つや霧の中
   月高く樹にあり下は水の昔
 夜の深くるに、おのれとおのれの声に驚かされ山を下りて、帰路を飛鳥山下に取る。月色秋高く三人影を連ねて行く。路傍の小祠に憩う。ここにて不折画を論ず。
   杉暗し月にこぼるゝ井戸の水
   一行に絵かきもまじる月夜かな
 見渡せば、遠近濃淡天然の好画境なりと、不折賞して已まず。我等、画中に在りて往来するの思いあり。
   山ぞひや帽子の端にきりぎりす
   白露の三河島村灯ちらちら
   月の根岸闇の上野や別れ道
 翁及び不折子に別れて帰る。数日を経て、不折一巻を携へ来りて余に示す。被き見れば王子紀行なり。絵画数十枚いずれか面白からぬは無し。余瞠若(どうじゃく)一語を発する能はず。不折、頻りに余の俳句を見んことを覔(もと)む。余、もともと一句なし。曰く俳句、画にまけたりと。不折聴かず。やむを得ず数句を記してその責を塞ぐ。ただ憾(うら)むらくは不折の画、僅かに瀧の川の一枚をここに掲げて、他の数十葉を掲ぐる能わざるを。〔王子紀行 明治27・8・28〕





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最終更新日  2020.01.15 19:00:09
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