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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2020.03.02
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カテゴリ:夏目漱石
『吾輩は猫である』の7章で、猫は銭湯に行って、裸の人間を見て、服の歴史について思い巡らせます。
 醜悪な人間の体を隠すために、人間は衣服を考案したのですが、その本質は「競争」だというのです。平等を嫌う人間は、他人よりも優位に立とうとするために衣服を奇抜にし、新しくしてそれをまとい、優越感を持党としたのが服だと断じています。
 

 
――人間は全く服装で持ってるのだ。十八世紀の頃大英国バスの温泉場においてボー・ナッシが厳重な規則を制定した時などは浴場内で男女とも肩から足まで着物でかくしたくらいである。今を去ること六十年前これも英国のさる都で図案学校を設立したことがある。図案学校のことであるから、裸体画、裸体像の模写、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になって当局者を初め学校の職員が大困却をしたことがある。開校式をやるとすれば、市の淑女を招待しなければならん。ところが当時の貴婦人方の考によると人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思っていた。人間として着物をつけないのは象の鼻なきがごとく、学校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとく全くその本体を失している。いやしくも本体を失している以上は人間としては通用しない、獣類である。たとい模写模型にせよ獣類の人間と伍するのは貴女の品位を害する訳である。でありますから妾らは出席御断わり申すといわれた。そこで職員どもは話せない連中だとは思ったが、何しろ女は東西両国を通じて一種の装飾品である。米舂にもなれん志願兵にもなれないが、開校式には欠くべからざる化装道具である。というところから仕方がない、呉服屋へ行って黒布を三十五反八分七買って来て例の獣類の人間にことごとく着物をきせた。失礼があってはならんと念に念を入れて顔まで着物をきせた。かようにしてようやくのこと滞りなく式をすましたという話がある。そのくらい衣服は人間にとって大切なものである。……
 衣服はかくのごとく人間にも大事なものである。人間が衣服か、衣服が人間かというくらい重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したいくらいだ。だから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。まるで化物に邂逅したようだ。化物でも全体が申し合せて化物になれば、いわゆる化物は消えてなくなる訳だから構わんが、それでは人間自身が大いに困却することになるばかりだ。その昔自然は人間を平等なるものに製造して世の中に抛り出した。だからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸である。もし人間の本性が平等に安んずるものならば、よろしくこの赤裸のままで生長してしかるべきだろう。しかるに赤裸の一人がいうにはこう誰も彼も同じでは勉強する甲斐がない。骨を折った結果が見えぬ。どうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだというところが目につくようにしたい。それについては何か人が見てあっとたまげる物をからだにつけて見たい。何か工夫はあるまいかと十年間考えてようやく猿股を発明してすぐさまこれを穿いて、どうだ恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いた。これが今日の車夫の先祖である。単簡なる猿股を発明するのに十年の長日月を費したのはいささか異な感もあるが、それは今日から古代に溯って身を蒙昧の世界に置いて断定した結論というもので、その当時にこれくらいな大発明はなかったのである。デカルトは「余は思考す、故に余は存在す」という三つ子にでも分るような真理を考え出すのに十何年か懸ったそうだ。すべて考え出す時には骨の折れるものであるから猿股の発明に十年を費やしたって車夫の智慧には出来過ぎるといわねばなるまい。さあ猿股が出来ると世の中で幅のきくのは車夫ばかりである。あまり車夫が猿股をつけて天下の大道を我物顔に横行濶歩するのを憎らしいと思って負けん気の化物が六年間工夫して羽織という無用の長物を発明した。すると猿股の勢力はとみに衰えて、羽織全盛の時代となった。八百屋、生薬屋や、呉服屋は皆この大発明家の末流である。猿股期、羽織期の後に来るのが袴期である。これは、何だ羽織の癖にと癇癪を起した化物の考案になったもので、昔の武士今の官員などは皆この種属である。かように化物どもがわれもわれもと異を衒い新を競って、ついには燕の尾にかたどった畸形まで出現したが、退いてその由来を案ずると、何も無理矢理に、出鱈目に、偶然に、漫然に持ち上がった事実では決してない。皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心の凝ってさまざまの新形となったもので、おれは手前じゃないぞと振れてあるく代りに被っているのである。して見るとこの心理からして一大発見が出来る。それはほかでもない。自然は真空を忌むごとく、人間は平等を嫌うということだ。すでに平等を嫌ってやむを得ず衣服を骨肉のごとくかようにつけ纏う今日において、この本質の一部分たる、これ等を打ちやって、元の杢阿弥の公平時代に帰るのは狂人の沙汰である。よし狂人の名称を甘んじても帰ることは到底出来ない。帰った連中を開明人の目から見れば化物である。たとい世界何億万の人口を挙げて化物の域に引ずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化物だから恥ずかしいことはないと安心してもやっぱり駄目である。世界が化物になった翌日からまた化物の競争が始まる。着物をつけて競争が出来なければ化物なりで競争をやる。赤裸は赤裸でどこまでも差別を立ててくる。この点から見ても衣服はとうてい脱ぐことは出来ないものになっている。(吾輩は猫である7)
 
 こうした考え方は、どうも英国時代に培われたもののようです。漱石が東京帝国大学の講義のために綴った『文学評論』で、ロンドンの風俗について語っているところがあり、その中に「一般の人の特性を挙げて一言に御話をすると、㈠野卑。㈡酩酊。㈢賭博。㈣決闘。㈤服装の不自然なることなどである」とあり、服装についての所見を述べています。この考えが、猫の語るものとそっくりなのです。その内容を次回でご紹介します。





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最終更新日  2020.03.02 19:00:05
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