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2020.07.10
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カテゴリ:夏目漱石
十月二十九日〔月〕岡田氏の用事のため、倫敦市中に歩行す。方角も何も分らず、かつ南亜より帰る義勇兵歓迎のため、非常の雑踏で困却せり。夜、美濃部氏と市中雑沓の中を散歩す。
十月三十日〔火〕公使館に至り、松井氏に面会。Mrs.Nottよりの書状電報を受く。
十月三十一日〔水〕Tower Bridge,London Bridge,Tower,Monumentを見る。夜、美濃部氏とHaymarket Theatreを見る。SheridanのThe School for Scandalなり。
(漱石日記)
 
 漱石がロンドンに到着した翌日、漱石は方角も分からないままロンドンをさまよいました。日記にある「岡田氏」とはパリで会った画家の岡田三郎助で、当時、第1回の文部省留学生としてフランスに留学していました。三郎助は、ラファエル・コランに師事して洋画を学び、帰国後は小山内薫の妹・八千代と結婚しています。日記には、どういう用事だったのかは書かれていませんが、ロンドンを探検するにはいいきっかけとなりました。
「南亜より帰る義勇兵」とは、第二次ボーア戦争からの帰還兵でした。ボーアとはオランダ系アフリカ人のことで、彼らとイギリスは南アフリカの植民地化を1880年12月16日から争い、イギリスはトランスヴァール共和国の独立を渋々認めなければならなくなりました。ボーア戦争は、南アフリカ戦争、南阿戦争、ブール戦争とも呼ばれます。
 
 第一次ボーア戦争で苦杯をなめたイギリスは、その時に独立したボーア人共和国のオレンジ自由国とトランスヴァール共和国に対して1899年10月11日に戦いを挑みます。これに参加した兵士たちの帰還を迎えようとしたロンドンっ子たちと、戦争反対を叫ぶ人たちに加え、野次馬が加わっていました。その人波に巻き込まれた漱石は、トラファルガー広場まで流されてしまいました。『印象』には、この時の体験を「どこからどこへ人を載せて行くものかしらんと立ち止まって考えていると、後から背の高い人が追い被さるように、肩のあたりを押した。避けようとする右にも背の高い人がいた。左りにもいた。肩を押した後の人は、そのまた後の人から肩を押されている。そうしてみんな黙っている。そうして自然のうちに前へ動いて行く。自分はこの時始めて、人の海に溺れたことを自覚した。この海はどこまで広がっているか分らない。しかし広い割には極めて静かな海である。ただ出ることとができない。右を向いてもつかえている。左を見ても塞っている。後をふり返ってもいっぱいである。それで静かに前の方へ動いて行く。ただ一筋の運命よりほかに、自分を支配するものがないかのごとく、幾万の黒い頭が申し合せたように歩調を揃えて一歩ずつ前へ進んで行く」と書いています。
 ロンドン2日目の漱石は、大変な目に遭ってしまったというわけです。
 
 夜は、学部学科の異なる帝国大学の同級生・美濃部俊吉(原文は美野部)と街へ繰り出しました。俊吉は、農商務省商工局に勤務して、明治29年にはヨーロッパ諸国に派遣され、この年のパリ万博の政府委員として腕を振るい、のちにフランス政府から勲章をもらっています。漱石がパリに到着した頃、俊吉はロンドンに渡っていました。
 30日には、ミセス・ノットの手紙を受け取ります。名前はメアリーといい、漱石と同じプロセイン号に乗っており、10月4日にはお茶の招待を受け、翌日の席でケンブリッジ大学学長への招待状を頼んでいます。
 そして31日、漱石はロンドンのあちこちを観光しています(次回はこの日のロンドン塔を中心にした観光内容の文を挙げるようにします)。
 この夜、俊吉は漱石を劇場に案内しています。劇場はビカデリィのヘイマーケットで、出し物はシェリダンの喜劇「悪口学校 The School for Scandal」でした。
 この喜劇は風刺劇に属し、「悪口学校」とは社交界のことで、その中で繰り広げられる流言飛語の脅威を感じさせる戯曲です。中央大学人文科学研究所編『風習喜劇の変容』には、次のように紹介されています。
 

 
『悪口学校』のジョウゼフ・サーフェスは、センチメントを持った男として、ほとんど文句なしに高い評価を受けて登場する。だが作者は、この男こそスキャンダル好きのグループの一員であり、その評価とは裏腹の偽善者ぶりを作品のなかで暴くのである。
 センチメント(sentiment)とは「オックスフォード大英語辞典」が示すように、当否の判断力を意味する。そしてセンチメンタル・コメディーは、前述のように、日常的倫理観を基盤として成立していた。『悪口学校』で観客をさんざん笑わせたあと、ジョウゼフを糾弾するのは、本質的な当否の判断ではない日常的倫理観に拘束された。センチメンタル・コメディにたいする作者の批判の表れでもあったと言えよう。
 
 漱石のこの劇への感想が「ノート」に残されています。このロンドンでの初観劇は漱石の心に感激の思いを植え付け、歌舞伎嫌いに拍車をかけるのでした。
 
 Haymarket theatre にて The School for Scandal ありし時、これを見んとて赴けり。時に券売切のため、不得已7s.6d.の上等な処へ入れり。これ余が英国の芝居を見たる始めての経験なり。左右前後を見ればことごとく燕尾服と礼服をつけたるもののみなり。余は赤靴にセビロにステッキを携たり。初めの頃は舞台に気をつけておれども何となく落付かず、すこぶる心苦しかりが、暫くする程にだんだん演芸に釣り込まれて、果は己れの赤靴や、セビロのことは忘れたただ演芸のみを見つめおりたり。(ノート)






最終更新日  2020.07.11 08:45:09
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Re:ロンドンの漱石02:観劇で感激(07/10)   よしい さん
観劇のくだり、岩波文庫「漱石日記」の注では美濃部俊吉になっていますが、集英社「漱石研究年表」では美濃部達吉になっています。双方ともなぜそのように判断したのかの説明はないのですが、何か情報はお持ちでしょうか。 (2021.02.09 17:42:06)

Re[1]:ロンドンの漱石02:観劇で感激(07/10)   aどいなか さん
よしい さま

返事が遅れて申し訳ございません。
さきほど、コメントが届いていたのを確認しました。

一応9月予定で、
自作を電子書籍化しようと目論んでいて、
漱石・子規関係の著作と、
併せて小説にもチャレンジしようとしています。
まだ、今まででした本も、この際電子化しようと、
バタバタした日を過ごしていたため、
コメントに目を通すことをしていなかったのです。

申し訳ございませんでした。

漱石研究家の出口保夫氏は『ロンドンの夏目漱石』で美濃部俊吉と書いています。
荒正人氏の『漱石研究年表』をみてみましたが確かに美濃部達吉と書かれていました。
二人は兄弟で、同時期に留学されていますのでどちらが正しいかとなると、これは難しい問題ですね。
僕もこうした間違いを少なくするため、なるべく出典を明らかにするようにしていますが、
本当に難しいので困ります。

はっきりした答えが出なくて申し訳ございません。
両氏の著作に、漱石との関係が描かれて入ればいいのですが、
前に書きましたように、それどころではない状態です。

はっきりした返事にならなくて申し訳ございません。 (2021.06.13 10:18:45)


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