|
カテゴリ:正岡子規
この日も子規は健啖ぶりを見せています。間食には菓子パンと塩煎餅を10枚余り食べていますが、これで37度7分の体温なのです。 夕食には、愛媛県ま南部地域でよく食べられている「さつま」が出ました。子規の説明では「これは小鯛の骨を焼きて善く叩きて粉にし味噌に和してぬく飯にかけ食うなり。もっとも鯛の肉は生にて味噌に混じあるなり」とあり、調理には手間がかかります。 僕は、だいぶ前に書いた『愛媛食べものの秘密』に、次のように書きました。 南予一円でつくられる郷土料理に「伊予さつま」がある。焼魚の身と麦味噌をすり鉢ですりおろし、火にかざして焼いて香ばしさを出したあと、ダシ汁を入れてのばす。その中にコンニャクやネギ、ゴマ、みかんの皮のみじん切りなどの薬味を入れ、温かい麦飯にかけて食べる。 この料理は、宇和島藩主に嫁いだ薩摩藩主の娘が「さつま」のつくり方を伝えたものというが、薩摩藩からの嫁入りの史実はない。確かに宇和島藩と薩摩藩の関係は強固だったが、これは幕末の公武合体運動が高まってからのことである。また、味噌を擦るときに、夫が妻を助けることで「佐妻」と呼ばれるようになったという説もある。 汁がよくしみ込むよう、椀のご飯に箸で十字を書くことが、薩摩藩主・島津家の紋どころに似ているため、「さつま」と呼んだという説が当たっているのではないかと思う。 よく似ている料理が宮崎県の「冷や汁」だ。「冷や汁」は、キュウリの輪切りやミョウガなどの薬味や豆腐を入れた味噌仕立ての汁をあつあつの麦飯にかける。鹿児島県にも「冷や汁」があるものの、山間部でつくられており、ポピュラーな存在ではない。「薩摩」ではなく、「日向(宮崎県)」から伝わった料理に、九州を意味する「さつま」の名をつけたと思われる。 「ごはんと味噌汁」の組み合わせは戦国時代に誕生し、武士たちに重用された。保存性に富み、携行に便利な味噌は、時間が充分にとれない戦場で、手早く食事を済ますことができるため、簡便食として用いられている。冷えた味噌汁をご飯にかける料理は、江戸時代の『料理物語』をはじめ、多くの料理書に登場する。 内田康夫著『坊っちゃん』殺人事件では、主人公の浅見光彦が「さつま」を食べ、「生ぬるいご飯に冷たい味噌汁」と不満を述べているが、別の本で作者の内田康夫は「名物に旨いものあり」と書いている。 大分県佐伯地方の郷土料理「さつま」は、宝暦十一年(一七六一)幕府の巡見使・河内善兵衛が宇和島に泊まったとき、側用人が宿の主人に教えたものが大分に広がったと伝えられる。 日向(宮崎県)の「冷や汁」は、宇和島で「さつま」と名前を変え、海路を利用する商人や漁師たちの手によって、大分県や広島県、岡山県、香川県へと伝播した。九州と四国が交流していたという歴史が垣間見える料理なのである。ただ、海をへだてて食文化が伝わるためには、美味しさが絶対に必要だ。 近年、愛媛県の味噌製造会社が、麦味噌とダシ、すり身をあわせた「さつま」のパックをつくった。これならば、自宅で簡単に「さつま」を味わうことができる。 また、この日は子規の母・八重が東上野にある広徳寺へ行き、焼き栗わかってきました。そして、寛永寺の浄名院は人でごった返していました。この日は旧暦の8月15日なので、この日にへちまの水を取ると咳の薬になるという言い伝えがあるのです。そのために、この寺はへちま寺とも呼ばれています。 九月廿七日 曇(陰暦八月十五日) 便通 朝飯 ぬく飯四わん あみ佃煮 はぜ佃煮 なら漬 牛乳五勺ココア入 菓子パン少々 午飯 まぐろのさしみ 煮茄子 なら漬 粥三わん 梨一 焼栗五、六 かん詰のパインアップル 間食 牛乳五勺ココア入 菓子パン塩煎餅十個ばかり 夕 少し発熱の気味あり 測れば卅七度七分 便通及繃帯とりかへ さつま四わん(これは小鯛の骨を焼きて善く叩きて粉にし味噌に和してぬく飯にかけ食うなり もっとも鯛の肉は生にて味噌に混じあるなり) 枝豆 あげもの一 かん詰の鳳梨 母広徳寺前にて嬰粟石竹等の種五、六袋買うて帰らる(嬰粟は余の所望なり)おみやげ焼栗一袋(十個入二銭)は上野広小路六阿弥陀へ参られし帰り門前の露店にて求められたりと 余、何故に、もすこし多く買われざるかと問えば余りに高き故なりと 東京の婦女子時に神詣寺参などと称えて出歩行くは多く料理屋にて飯くうか少くとも蕎麦屋汁粉屋位のおごりはするなり 手土産を持ち帰るはいうまでもなし 田舎者はさる贅沢を知らず 内の者などたまたま出歩行くも浅草ならば仲店を見物して一銭か二銭の花釵一、二本買う位に過ぎず その釵何にすると問えば国の誰それに送るなりと そんな奴わざわざ三百里の道を送らずとも松山にもいくらもあるべしといえば、さにあらず江戸土産といえば善悪にかかわらずうれしきこと子供の時党えありと やさしき心がけ、生活の程度はまだこんなものなり 浄名院(上野の律院)に出入る人多く皆糸瓜を携えたりとの話、糸瓜は咳の薬に利くとかにてお咒でもしてもらうならん けだし八月十五日に限るなり 月なし 『ホトトギス』十二号来る
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.02.22 19:00:06
コメント(0) | コメントを書く
[正岡子規] カテゴリの最新記事
|