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カテゴリ:夏目漱石
竹藪に雉子鳴き立つる鷹野哉 漱石(明治28) 雉子の声大竹原を鳴り渡る 漱石(明治29) 野に山に焼き立てられて雉の声 漱石(明治29) キジの季語は春です。すみかが焼けると、身の危険も忘れて子を救うという話は「焼野の雉子、夜の鶴」という諺になっています。また、地震などの災害を予知するといわれます。また、鳴き声に特徴があり、春先にケーンケンと鳴くことで知られ、和歌や俳句の素材となっています。 キジのオスは、顔に赤い肉垂れがあり、長い尾を特徴としています。全体には黒く見えるのですが、首から胸のあたりは金属的な光沢があり、太陽光線を浴びると緑や紫に輝きます。しかし、メスは全身薄茶に黒褐色の斑点で、あまり綺麗とはいえません。しかし、メスがオスのなわばり廻ると、オスはそれらのメスに対して自己紹介のような行動をとり、メスは気に入ったオスと交尾するという、格好を別にすると女性上位の鳥です。 明治38(1905)年1月10日、野間真綱が千駄木の漱石宅に雉子を携えて訪れました。その日、門下の皆川正禧宛に「只今野間真綱君参り雉子一羽もらい候間ひる飯をくいに御出被下度右御案内申上候」と送っています。1月15日には、真綱宛に作品について「君の作は着想は面白いところがあるが言葉が平凡なところが多い。今一という処で気が抜ける」と書き、自分の見た夢の内容を記した後で「先達ての雉子は大変うまかった」とお礼を告げています。 この年の正月1日の夕食に、漱石は真綱からもらったイノシシ肉入りの雑煮を野村伝四とともに食べ、3日には高浜虚子、坂本四方太、橋口五葉、橋口貢らにイノシシ肉入りの雑煮をご馳走しました。 翌明治39年1月15日、真綱は、漱石の家に雉子と巻紙を届けました。翌日、皆川正禧宛書簡には「不相変餅を食って御消光のことと存候。小生も例の如く漫然と消光致し居候。そのうち会食でも致し度と存候」「野間が雉子を届けてくれました。これは島津の若旦那の御みやげです。昨夜無暗に食べた所今日腹がわるし候」とあります。 漱石は、雉子を食べ過ぎて腹を壊してしまったのです。
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最終更新日
2021.03.23 19:00:05
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