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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2021.06.27
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カテゴリ:夏目漱石
   秋風や屠られに行く牛の尻  漱石(大正元)
 
 屠殺場に行く牛の尻を詠んだ句です。ただ、この頃の漱石は痔の手術をした頃なので、ついつい尻に目が向いてしまったのかもしれません。この内容からは、「ドナドナ」が頭に浮かびます。
 
 牛肉といえばステーキです。漱石は、これをビステキと書きます。『野分』の二人は、「眺望のいい二階」で「ビステキ」をとったのでした。「ビステキ」は英語のbeefsteakで、「ビフテキ」はフランス語のbifteckに基づいているからなのです。今では「ビフテキ」が主流になりましたが、漱石はロンドンから子規に宛てた手紙『倫敦消息』でも、「ビステキ」を登場させています。
 漱石の小説では、『野分』にビス的が登場します。『野分』は、「ホトトギス」の明治40(1907)年1月1日号に発表された初期の作品で、「ビステキ」を食べる場面は、実業家を父に持つ中野君が貧乏学生の高柳君とともに卒業記念に「公園の真ん中の西洋料理屋」で「ビステキ」をかじります。すでに美しい妻を持つ中野君は、西洋料理店に行き慣れているようで、「ビステキの生焼は消化がいいっていうぜ」と、血の滴るようなレアのビステキを食べます。高柳君は「いくら赤くてもけっして消化がよさそうには思えなかった」と思い、「ビステキを半分で断念」するのです。
 
「なぜ? 何もそう悲観する必要はないじゃないか、大おおいにやるさ。僕もやる気だ、いっしょにやろう。大に西洋料理でも食って――そらビステキが来た。これでおしまいだよ。君ビステキの生焼は消化がいいっていうぜ。こいつはどうかな」と中野君は洋刀(ナイフ)を揮って厚切の一片を中央から切断した。
「なあるほど、赤い。赤いよ君、見たまえ。血が出るよ」
 高柳君は何にも答えずにむしゃむしゃ赤いビステキを食い始めた。いくら赤くてもけっして消化がよさそうには思えなかった。
 人にわが不平を訴えんとするとき、わが不平が徹底せぬうち、先方から中途半把な慰藉を与えらるるのは快くないものだ。わが不平が通じたのか、通じないのか、本当に気の毒がるのか、御世辞に気の毒がるのか分らない。高柳君はビステキの赤さ加減を眺ながめながら、相手はなぜこう感情が粗大だろうと思った。もう少し切り込みたいと云う矢先へ持って来て、ざああと水を懸けるのが中野君の例である。不親切な人、冷淡な人ならば始めからそれ相応の用意をしてかかるから、いくら冷たくても驚ろく気遣はない。中野君がかような人であったなら、出鼻をはたかれてもさほどに口惜くはなかったろう。しかし高柳君の眼に映ずる中野輝一は美しい、賢こい、よく人情を解して事理を弁えた秀才である。この秀才が折々この癖を出すのは解しにくい。
……
「君などは悲観する必要がないから結構だ」と、ビステキを半分で断念した高柳君は敷島をふかしながら、相手の顔を眺めた。相手は口をもがもがさせながら、右の手を首と共に左右に振ったのは、高柳君に同意を表しないのと見える。
……
「しかしそんな文学は何だか心持ちがわるい。――そりゃ御随意だが、どうだい妙花園(みょうかえん)に行く気はないかい」
「妙花園へ行くひまがあれば一頁でも僕の主張をかくがなあ。何だか考えると身体がむずむずするようだ。実際こんなに呑気にして、生焼のビステッキなどを食っちゃいられないんだ」
「ハハハハまたあせる。いいじゃないか、さっきの商人見たような連中もいるんだから」
「あんなのがいるから、こっちはなお仕事がしたくなる。せめて、あの連中の十分一の金と時があれば、書いて見せるがな」
「じゃ、どうしても妙花園は不賛成かね」
「遅くなるもの。君は冬服を着ているが、僕はいまだに夏服だから帰りに寒くなって風でも引くといけない」
「ハハハハ妙な逃げ路を発見したね。もう冬服の時節だあね。着換えればいい事を。君は万事無精だよ」
「無精で着換えないんじゃない。ないから着換えないんだ。この夏服だって、まだ一文も払っていやしない」
「そうなのか」と中野君は気の毒な顔をした。
​​ 午飯の客は皆去り尽して、二人が椅子を離れた頃はところどころの卓布の上に麺麭(パン)屑が淋しく散らばっていた。公園の中は最前よりも一層賑かである。​​ロハ​​台は依然として、どこの何某か知らぬ男と知らぬ女で占領されている。秋の日は赫(かっ)として夏服の背中を通す。​​(野分 2)
 
 中野君と高柳君がビステキを食べた西洋料理店は、日比谷公園内にある「松本楼」をモデルにしています。「松本楼」は、明治36(1903)年に、日本初の洋式公園として誕生した日比谷公園の真ん中に開店した、マンサード屋根の3階建ての洋館でした。設計したのは東京帝国大学の助教授だった本多静六で、東京駅の設計で知られる辰野金吾からの依頼を受け、たった1週間で描いた設計図が採用されたのでした。ハイカラ好きな人々は「松本楼でカレーを食べてコーヒーを飲む」ことを楽しんだといいます。
ビフテキの登場する漱石の小説が『野分』です。 
 
 他の作品では『倫敦消息』に登場します。
 
 それだから今日すなわち四月九日の晩をまる潰しにして何か御報知をしようと思う。報知したいと思う事はたくさんあるよ。こちらへ来てからどういうものかいやに人間が真面目になってね。いろいろなことを見たり聞たりするにつけて日本の将来という問題がしきりに頭の中に起る。柄にないといってひやかしたまうな。僕のようなものがかかる問題を考えるのは全く天気のせいや「ビステキ」のせいではない天の然らしむるところだね。この国の文学美術がいかに盛大で、その盛大な文学美術がいかに国民の品性に感化を及ぼしつつあるか、この国の物質的開化がどのくらい進歩してその進歩の裏面にはいかなる潮流が横わりつつあるか、英国には武士という語はないが紳士と〔いう〕言があって、その紳士はいかなる意味を持っているか、いかに一般の人間が鷹揚で勤勉であるか、いろいろ目につくと同時にいろいろ癪に障ることが持ち上ってくる。時には英吉利(イギリス)がいやになって早く日本へ帰りたくなる。するとまた日本の社会のありさまが目に浮んでたのもしくない情けないような心持になる。日本の紳士が徳育、体育、美育の点において非常に欠乏しているということが気にかかる。その紳士がいかに平気な顔をして得意であるか、彼らがいかに浮華であるか、彼らがいかに空虚であるか、彼らがいかに現在の日本に満足して己らが一般の国民を堕落の淵に誘いつつあるかを知らざるほど近視眼であるかなどというようないろいろな不平が持ち上ってくる。(倫敦消息 1)
 
 然るにあらゆる節倹ををしてかようなわびしい住居をしているのはね、一つは自分が日本におった時の自分ではない単に学生であるという感じが強いのと、二つ目にはせっかく西洋へ来たものだから成る事なら一冊でも余計専門上の書物を買って帰りたい慾があるからさ。そこで家を持って下婢どもを召し使った事は忘れて、ただ十年前大学の寄宿舎で雪駄(せった)のカカトのような「ビステキ」を食った昔しを考えてはそれよりも少しは結構? まず結構だと思っているのさ。(倫敦消息 2)





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最終更新日  2021.06.27 19:00:05
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