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カテゴリ:正岡子規
樽柿を握るところを寫生哉(明治32) 子規の画には、なぜか柿がありません。あの『菓物帖』にもなく、幼い頃のものにもありません。子規は枕元にある鉢植えなどの草花や果物の写生画をたくさん残ししているのですが……。 その理由の一つが明治33年3月10日発行の「ホトトギス」に掲載された『画』にあります。「僕は子供の時から手先が不器用であったから、画は好きでありながらそれを画くことは出来なかった。普通に子供の画く大将絵も画けなかった。この頃になって彩色の妙味を悟ったので、彩色絵を画いて見たい、と戯れにいったら、不折君が早速絵具を持って来てくれたのは去年の夏であったろう。けれどもそれも棚にあげたままで忘れていた。秋になって病気もやや薄ぐ、今日は心持が善いという日、ふと机の上に活けてある秋海棠を見ていると、何となく絵心が浮んで来たので、急に絵の具を出させて判紙展べて、いきなり秋海棠を写生した。葉の色などには最も窮したが、始めて絵の具を使ったのが嬉しいので、その絵を黙語先生や不折君に見せると非常にほめられた。この大きな葉の色が面白い、なんていうので、窮した処までほめられるような訳で僕は嬉しくてたまらん。そこでつくづくと考えて見るに、僕のような全く画を知らん者が始めて秋海棠を画いてそれが秋海棠と見えるは写生のお蔭である。虎を画いて成らず狗に類すなどというのは写生をしないからである。写生でさえやれば何でも画けぬことはないはずだ、というので忽ち大天狗になって、今度は、自分の左の手に柿を握っている処を写生した。柿は親指と人さし指との間から見えているところで、これを画きあげるのは非常の苦辛であった。そこへ虚子が来たからこの画を得意で見せると、虚子はしきりに見ていたが分らぬ様子である。『それは手に柿を握っているのだ』と説明して聞かすと、虚子は始めて合点した顔附で『それで分ったが、さっきから馬の肛門のようだと思うて見ていたのだ』というた」と書き、「僕に絵が画けるなら俳句なんかやめてしまう」とまでの心情を吐露しています。 この一言で、子規は柿を描くことを諦めたのかもしれません。 当事者である虚子は小説『柿二つ』に、このことを記しています。 去年の秋であったか、彼は柿の皮のむきかけてあるところを写生した。Kがそれを見た時に変な顔をしていたので彼は聞いて見た。 「その画はどうぞな」 「そうよ、何だかへんな画だと思ってみているのよ」 「それは私(あし)の得意な画じゃが……何の画とお見たら?」 「馬の肛門みたようだと思ってみているのよ」 「ははははは。それはひどい。ははははは」 そんなことがかえって彼を楽しましめた。馬の肛門はしばらくの間好話題になった。(高浜虚子 柿二つ)
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最終更新日
2022.02.20 19:00:07
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