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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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カテゴリ:正岡子規
   岡麓の新築を見に行きて
   柿蜜柑園遊会の用意哉(明治2)
 
 明治32年11月13日、子規は和歌の門人・岡麓の新築を祝いに訪れました。
 子規はこの日、午後から香取秀真と行くと麓に宛てたハガキを出し、「笹の雪」を手土産に午後2時頃、人力車に乗って湯島天神近くにある本郷金助町の麓宅を訪ねています。家では、麓の弟の画を見せてもらい、夕方に暇乞いをしました。この日の様子は、岡麓の『正岡子規』「思出の記」に書かれています。
 
 この日のことを思い出すと、先生はハンケチをたもとから出されて、口にあて二三度軽く咳をされたきりで、五時間ただの一度も痰を吐かれなかった。お宅でも痰を吐かれることはすくなかったが、人のいやがる御病気なので、充分に気をくばられ、咳をされるのにもよくよく注意をなさる。全く油断がなかったのである。
 このおいで下された時にも、あまり多くはお話がなく、じっと横になっていられた。病人らしいあつかいをしてはよくあるまいと思ったので座蒲団を二枚つづけ、一枚は二ツに折って肘の下へあてがい、腰へは毛布をかけてあげたのだった。「夕餉もてなされて後、ともし火の下に硯引きよせ」とあるように夜食後先生から「何かかきましょうか」といって下されたので、鳥の子を二枚差出すと、下の一枚をのけて、ひろげられてまず「岡ふもとの家をおとずれて 規」とかかれ、前の「あたらしき庭なつかしみ」以下「色厚く絵の具塗りたる油画の」までの十首を上をそろへて二行書きに、ゆっくりではあるが、すらすらと画かれて、丁度もう一首は書けるところで止められた。筆をおいて、こちらへむけて下された。詞書は新聞に掲載されるので書かれたのだし、末の三首も詠み加えられたのだ。私と弟とが拝見していた。弟四郎は浅井忠さんの門人で美術学校の生徒だったので食事前に「あなたの画をお見せなさい」といわれて板の小品で写生の風景画を十何枚かお見せ申した。「主の弟自ら書きたる油画をいくつも見せらる。くさまなり」とあって、「これは谷中ですね」などと先生の思い出さるる場所などに興がられたが、まだ一枚ずつ画を見てはかきつけられた。
     四郎君の画を題にして
   なつ草や自転車の輪立犬の糞
   鄙の家に翡翠来るや花菖蒲
   かたまりて黄なる花さく夏野哉
 
   ふねもなき川の広さや空の秋
   蘆茂る中に小家あり四手網
   菊時はきくを売るなり小百姓
   田圃から見ゆる谷中の銀杏かな
   かけ稲やまだ引かである畦の黍
   足跡の尽きし戸ロや雪の原
     たはぶれに 規つくる
 なお二三句は書けるが余白を残して止められた。ちゃんと夏から冬へ季を追ってそろえてあった。作っては書き、作っては書かれたので、二所落字をされて書きたされた。いかにも気らくに書きつけられるように見えるが、ぶっつけ書きである。歌の方もいきなり書かれたのだに、すこしもたがわず新聞へも載っている。数日の後御うかがいして、書いて頂いたことの御礼を申し上げると「あの翡翠の翡の字の上下をまちがえました。入替をつけておいて下さい」といわれた。宅へもどってよく見たら、翡の字が間違えて書いてあった。先生ははっきりそれを覚えておられたのであった。
 香取君は朝出かけたのでとうとう来なかった。
 
〇おみやげの「笹の雪」
 先生がおいで下された日のお土産は「笹の雪」であった。へぎ板の折づめ、きぬごしの豆腐である。先生の戯歌に
   根岸名物芋坂圏子賣切申候の笹の雲
 というのがこれである。手土産を御持参になるにも、わざわざ買いにやられるのである。朝のうちでも売切れてない時が多い。いただいて置いてかきもらした。相済まん気がする
 
 この日の出来事を、子規も明治32年12月19日の「日本」新聞に掲載された「本郷まで」に書いています。
 
 十一月それの日、かねてふもとの新築をおとなわんの約あれば、きょうの晴をさいわいに俄に思い立ちて金助町へ行く。石階一つ二つ上りて玄関に入れば、庭先の門より直に坐敷にまわれというに、負われたるまま庭より通りぬ。
   あたらしき庭なつかしみ足なへのわれ人の背に負はれつつ来ぬ
 室は五畳か六畳、床の間には探幽の筆なりという三日月ばかり大きく画ける幅を掛け、その下少し横の方に黒塗の細き竹花いけの高さ一尺余りあるに黄菊の枝を極めて短く活けたる、あるじの好みも見えて思はずほほ笑まれぬ。
   銀泥のさびてかがやく三日月の古蓋の下に菊只二輪
 西側の中障子を明けて庭を見る。庭深くして草木善きように植えたれど、なお植えて時を経ねば、おのずからまばらに奥まで見わたさる。桜は落葉して棕櫚は茂れり。そのうしろに松五六本くばりあわせて、その隙より燃ゆるが如き紅葉を見せたり。今しも夕日は梢を掠めて面白きながめなるに、中にも最も濃き色なるは大盃という樹なりなど主のいえれば詠む。
   松を植え楓を移し新室の底のたくみは今成りにけり
   君と我二人かたらふ窓の外の紅葉の木末夕日さすなり
   早稲酒のうま酒に酔ふ公時の大盃といふかへでかも
 庭の彼方にあたりて三味線の昔のにぎやかに聞ゆるは、さすがに市中の住居なればなり。しかもこの家この庭と不調和なることの可笑しければ、
   松かへで画静かなる庭の奥にこは清元の三味の昔聞ゆ
 など戯る。窓の下に唐銅の方三尺ばかりの器ありて水を湛えたり。端にある模様など支那めきたれば、主に名を問いしに、こは古くよりあり来りて尺水盤という、渡り物といい伝えたりとぞ。
   新しき庭の草木の冬ざれて水盤の水にほこり浮きけり
 主秘蔵の古人の筆蹟多く取り出でて示さる。行成、逸勢、西行の書、義政自筆の伊勢物語、その外惺窩以下漢儒諸家の手簡など、珍品数を尽して皆めでたし。
   水茎のふりにし筆の跡見ればいにしへ人は善く書きにけり
 夕飽もてなされて後ともし火の下に硯引きよせ、
   新室に歌詠み居れば棟近く雁がね喘きて茶は冷えにけり
 さまざまに書き散らす。主の弟自ら画きたる油画をいくつも見せらる。いと心ゆくさまなり。
   色厚く絵の具塗りたる油画の空気ある絵を我は喜ぶ
 暇乞して立ち出ず。月の光西えて物白く気寒し。切通坂を下りて三橋にかかるに、今日は酉の市の往来ひまなくあると、ある店の檐端には提灯おびただしく掛けつらねて熊手の客を待つ。大熊手、小熊手さしあげて帰り来る勢もいさましく覚えて、
   にぎはひの大路をはさむ高殿の二階三階灯山の如し
   吉原につゞく大路を見わたせば月あきらかに熊手なみ来も
   ともし火の山なす町を行き過ぎて上野の森は暗く淋しき
 にわかに身ぶるいつきて車に堪えぬ心地なり。〔本郷まで〕





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最終更新日  2022.03.02 19:00:07
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