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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2022.04.14
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カテゴリ:夏目漱石
 第五室に入ったら、山水の景色が横に長く続いている途中から拳骨のような白いものが斜に突き出していた。友人があれは雲でしょうかと聞いた。自分はもしそれが雲でないとしたら何だろうと考えて見たが、ついに想像も及ばなかった。その隣りに栗鼠が葡萄の幹を渡っていた。この栗鼠の眼は甚だ複雜である。下りようとしておるでもなく、留まろうとしているでもなく、そうかといって、何を考えているでもないが、決して唯の眼ではない。自分はこの眼の表情を一口でいい終せた人に二等賞を捧げたい。次には木の股に鳥がたくさんいた。感心なことにいずれも烏らしい様子をしていた。次には象がいて、見付があって、富士山があった。山王祭の絵だそうである。それから屛風に稲の穗が一面に描いてあった。この稲の穗の数を知っているものは天下に一人もあるまいと思った。(文展と芸術 7)
 
 雲の絵は、群馬生まれの小室翠雲「四時佳興」、リスの絵は長崎生まれの荒木十畝「葡萄」です。リスの目の意味がわかった人に二等を差し上げたいというのは、文展が一等を出さずに等ばかりを出しているという漱石の皮肉です。鳥の絵は長野生まれの池上秀畝「梢の秋」、山王祭の絵は江戸京橋生まれの尾形月耕「山王祭図」、稲の絵は東京神田生まれの芝景川「稲の波」です。
 
 六室は面白かった。先ず第一に天孫の降臨があった。天孫だけあって大変幅を取っていた。出来得べくんば、淺草の花屋敷か谷中の団子坂へ降臨させたいと思った。筋向うに昔の男が四五人立っていた。この方が余程人間に近かった。「甲(よろ)うたる馬」というのは、とても乗れる馬ではないから引っ張っているのだろうが、引っ張っている所を見るだけで好いのである。この馬は紙を切って張り付けたと同じ恰好で、三角形の趣を具えた上へ、思い切った色彩を施した、奇拔なものである。乘れなくても飾っておけばよろしい。馬の主は素明君であった。素明君の通りを横丁へ出ると、大きな松に蔦が絡んで、熊笹のたくさん茂った、美くしい感じのする所が平田松堂君の地面であった。自分は友人と第七室に入った。(文展と芸術 7)
 
 天孫降臨の絵は新潟生まれの尾竹竹坡「天孫降臨」、シコ人の男が立っている絵は北海道生まれの北上峻山「犠牲」、馬の絵は漱石と旧知の東京本所生まれの結城素明「甲ふたる馬」です。素明は子規や漱石と、浅井忠を通じて知り合い、漱石は素明の絵に賛を入れたこともあります。松に蔦の絵は東京生まれの平田松堂「木々の秋」です。
 
 たちまち大きな桐の葉を白い雨が凄まじく叩いている大胆な光景を見た。その陰に雀がぎゅうぎゅう一列に並んで雨を避けている。ただし飛んでいるのもある。しかし飛んでいるのは雀じゃなかろう、大方雀の紋だろうという人もあった。自分は明治の書生広江霞舟君が桃山式の向うを張って描き上げたようなこの「白い雨」を愉快に眺めた。その隣にある「鵜船」もまたすこぶる振ったものである。船が平気な顏をして上下一列に並んでいる。煉瓦を積んだような波がその間を埋めている。塀の中に船を詰め込んで、橫から眺めたらこのくらい雅に見えるかも知れない。(文展と芸術 7)
 
 桐の葉に打ちつける雨の絵は、京都生まれの広江霞舟「白い雨」、「鵜船」は福岡・博多生まれの冨田渓仙のものです。
 次の室の一番初めには二枚折の屛風があった。その屛風はべた一面枝だらけで、枝はまたべた一面鳥だらけであつた。それが面白かった。そこを少し行くと美くしい女がたくさんいた。その女はみんな德川時代の女らしかった。そうして池田蕉園という明治の女によって描かれたことを申し合せたように滿足しているらしく見えた。その前には天女が飛田周山君のために彼女一代の歷史を横に長く開展している。彼女の歷史は花やかといわんよりはむしろ寂びていた。彼女の左右前後にある草や木や水は鮮やかにかつ渋く染められていた。そうして至極真面目に裏表なく栄えたり枯れたりした。この天女の一軒置いて隣りには、尾竹国觀先生がしゃもを蹴合わせていた。先生は新聞に堂々と署名して、文展の繪を頭ごなしに誰彼の容赦なく攻擊する人である。自分は先生の男らしいこの態度に感服するものである。だから先生のしゃもに対しても出来得る限りの敬意を表したい考えでいる。(文展と芸術 7)
 
 鳥だらけの絵は京都生まれの佐野一星「ゆきぞら」、美人画を得意とする東京神田生まれの池田蕉園「ひともしごろ」、天女の絵は茨城生まれの飛田周山「天女の巻」、闘鶏の絵は新潟生まれの尾竹国観「勝鬨」でした。
 
 第九室に入って不可思議なものを見た。何でも水の上に船が浮いていて、空から雪のようなものが、ポツポツ落ちて来る所じゃないかと思う。題には「豊兆」とあつた。題も謎になっているのだろう。今村紫紅君の「近江八景」もここに並んでいた。これは大正の近江八景として後世に伝わるかどうかは疑問であるが、とにかくこれまでの近江八景ではないようである。だから人が珍らしがるのだろう。が、それはああでもないこうでもないが嵩じて後のことと思わなければならない。狩野にも四傑にもないし美術院派にも煩わされない、全く初心(うぶ)の鑑賞家を伴れてきて、昔の八景とこの八景とどっちが好いと聞いたら、その男は存外昔の方を択むかも知れない。自分は今村君の苦心と努力を尊敬するから特にこういう要らざる皮肉をいうのである。色彩の点になるとはなはだ新らしいようではあるが、何だか自分の性に合わない。(文展と芸術 7)
 
 浮いているような船の絵は、京都生まれの都路華香「豊兆」、横浜生まれの今村紫紅「近江八景」です。紫紅は紅児会のリーダー格で、35歳で夭折していますが、今までの人物の中ではよく知られています。





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最終更新日  2022.04.14 19:00:07
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