171218玉名・史跡巡り・旧高瀬藩跡
玉名町小学校の校庭に、旧高瀬藩跡に来ました。32.93183, 130.55501旧高瀬藩、ご存じでしょうか?高瀬藩陣屋地跡: ここ玉名町小学校と東隣の玉名女子高等学校の敷地は、明治初期、高瀬藩の藩邸とされたところです。明治2年の「高瀬藩図」によれば、陣屋地は、藩邸およそ2.3haと、藩士とその家族700人が住む家臣団屋敷を合わせておよそ10haの広さとなっています。 慶応四年(1867)、200年間江戸に在った肥後新田藩(10代藩主細川利永・同年7月末高瀬藩と称す)は、明治維新の動乱のさ中、本藩の勧めで肥後に下向、高瀬町に仮住まいしたのち、明治3年5月、家臣たちは割り当てられた屋敷にはいりました。その年の9月、本藩への統合で、完成目前の藩邸は建設を中止、3年足らずで高瀬藩はその使命を終えました。 すい星のような存在でしたが、高瀬藩は、江戸風の文物や教育など、明治初期の玉名に新しい風をもたらしました。