140814三丘・小松原・宍戸家菩提寺貞昌寺
少し西へ下って、宍戸家菩提寺・貞昌寺にきました。34.053073854953894, 132.0033733196795入り口:34.053073393104256, 132.00379551295035曹洞宗 久岳山貞昌寺 関ケ原の合戦後で西軍の敗北により毛利氏は防長二州に移封され、元就の七男元政は慶長八年三丘地方4200石の給地を受け、ここに居館を構え三丘様と、またその領地は三丘御領と呼ばれていました。この地は大内時代の三丘ヶ岳城(番城)の大手跡で、山門付近の石段が昔日を語っています。 寛永二年第十七代(三丘第二代)宍戸広匡は、毛利元政との領地替えで牟礼(防府市)より家臣・寺社共々三丘に移りました。後、広匡の室の法名(久丘貞昌大姉)に因み「久丘山貞昌寺」と称し、宍戸家の菩提寺として常陸国初代宍戸家政以来、三丘第十代宍戸元礼までの650余年にわたる歴代の位碑を安置しています。