141021荒尾市・増永・荒尾二造・変電所跡
東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所変電所跡に来ました。32.978630, 130.459076東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所変電所跡施設の概要第二次世界大戦中、この周辺一帯は、 昭和14(1939)年に陸軍省 が旧荒尾町、 有明村、八幡村の100万坪を買収して造った「東京第 二陸軍造兵廠荒尾製造所」 (通称 「荒尾二造」という官営軍需工 場地帯でした。この変電所は、 昭和18 (1943)年12月に造られ、 全長約32m, 奥 行約8m、高さ約11mの耐火性の高い鉄筋コンクリート製で、山の 斜面を利用した半洞窟施設です。 2階の壁面には、終戦後の米国等の連合国によって、 「Transformer substation」 (変電所) と、 接収番号を示す 284 が書かれています。また、荒尾二造には、万田 (現・ 荒尾) 駅と結ばれた専用鉄道 が走っており、この変電所から電力が送られていました。 戦時中 は軍需品の輸送や従業員の通勤用に使われ、 戦後になると、昭和 24(1949)年3月1日から昭和39(1964)年9月25日までの約15年間、荒 尾市電として利用されましたが、 荒尾市電の廃線に伴い、 この変 電所の利用は無くなり、 現在、 機械類は撤去され残っていません。戦後の平和利用戦後、昭和20(1945)年10月23日付で、荒尾二造の全財産の管理は、陸軍省から大蔵省、 翌年3月31日付で大蔵省熊本財務局(のち 南九州財務局となる) の管轄となり、 荒尾出張所が設置されました。 この南九州財務局荒尾出張所は、昭和41(1966)年に廃止される まで、財産の管理と処理を行い、 荒尾二造跡の機械類は暗憤物 件として処分されました。荒尾二造の広大な土地や建物は、荒尾市、熊本県や民間などへ 払い下げられ、 市営住宅などの住宅施設や荒尾高等学校などの教 育施設、運動公園施設、 荒尾市民病院などの医療施設 水道施設、 工場への転用などが進んだことで、社会資本の基盤が整備さ れ、荒尾市の戦後復興や発展に貢献しました。戦後復興のモニュメントとして本市の戦後の復興と発展の過程における、 荒尾二造の社会資本整備に果た した役割を顕彰する象徴的な施設として、 荒尾市はこの変電所跡地を、 平成 25(2013)年3月、 九州財務局から所有権を移転し、取得しました。荒尾市教育委員会 (平成26年3月作成)出典および参考資料 ・荒尾市史(通史編) ・財務省 九州財務局資料