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中国の孤児院で育った盲目の少年阿大は、同じく孤児の少女とともにドイツ人の養子となり、ベンヤミンと改名して育てられた。19歳になった彼は、中国で起きた猟奇的な眼球摘出事件に関心を持ち、インターポールの中国人女性とともに現地へ赴く。少年が両眼を抉り取られたその事件で犯人とされた叔母は、井戸に身を投げて自殺したと言われていたが、ベンヤミンにはそれが真相とは思えなかった。事件の起きた村に滞在するうちにベンヤミンの前に現れる不審な人物と、遭遇する不可解な出来事の数々に、彼は視覚以外の全ての五感と、明晰な頭脳を駆使した推理で立ち向かう。過去と現在が交錯する物語の裡にはどんな秘密が隠されているのか。 あらかじめ、お断りしておきます。 この物語は叙述トリックです。そして辿り着いた真実にあなたが見出すものは、闇それとも光?ーーーーーーーーーー叙述トリックであることが前振りで断り書きされた、信用ならない語り手の視点で語られるミステリー。本作におけるホワイダニットは「犯人は誰か」よりも「語り手は何者なのか」でだろう。さらに「叙述トリックとは何か」ファットダニットととも言うべきメタミステリー的な問題をも読み手に提起している。物語は過去と現在が交互に描かれているが、時制そのものも果たして事実なのかも考え込んだり、読み手としてはついつい迂遠な推理を辿ってしまいがちだ。迂遠というより穿ちすぎの取り越し苦労だったりもする。とは言え、国内のある類似作品を読んだ経験値から主人公を取り巻く登場人物と環境、行動の背景に隠されたある真相は何となく掴めた。視覚障碍者が視点人物という言葉の矛盾ともいうべき設定は何ともアイロニカルで、最後に明かされる語り手の秘密を明かされたとき、読み手にこあった盲点を突き付けられる。ただしその「語り手のある真相」がフェアな推理の対象かどうかは意見が分かれると思う。私的には事件の真相と、犯人像と、犯行動機についても同様な感想を持った。やはり本格ミステリーに読者が求めるのは、手がかりがフェアに与えられたうえでの、意外な犯人と事件の記述そのものに仕掛けられたトリックであろうから。