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2022.05.23
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カテゴリ:下咽頭癌

30日目 5/17 TUE

 

今使っている薬等

放射線治療後の日焼けメンテナンス、保湿剤           ヘパリン類似物質油性クリーム0.3

          炎症性皮膚疾患治療剤      アズノール軟膏0.033

唇の乾燥防止                                                              プロペト軟膏

咽喉の乾燥防止  (コンビニで購入)                    口腔ケアスプレー

便秘薬       腸の活性化、緩下剤                 マグミット錠330mg        

便秘薬       緩下剤                                      センノシド錠12mg

マスクは、ノドヌールのついた保湿マスクを使ったが、数時間で乾燥してしまった。

その後は、ティッシュを5枚位(その後、強度があるキッチンタオルにした)濡らして、通常マスクの間に挟んで保湿用に使ったが、やはり、咽喉や口腔内が乾き、夜中に4-5回はうがいをしたり、再度ティッシュを濡らす保湿対策をしている。

 

口内炎も良く発症するらしいが、今の所、食後の歯磨き、一日4-5回のうがい、消毒等で清潔にすることにより、発生していない。

 

 

31日目 5/18 WED

 

最近の大きな病院の姿というものも、今勉強させて貰っている。

私が知っている病院は、随分以前の話だから割愛して、今見ている病院の事を書いてみる。

病院に来て、外来通院登録すると過去の受診履歴含む電子カルテ(詳細は不明)に記録されてゆく。勿論、入院中にはバーコード付きのマークが与えられて、瞬時に画面を見られるようになっている。

病院内のどこにもコンピューターシステムの操作、入力が不可欠であり、使用する医療機器もデジタル化して、担当者は、それらを正確に機敏に操作する。

特に、キーボードで入力する医師のタッチの速さには驚いてしまった。(大病院の医師は、医学の知識もだけど、キーボード操作も不可欠になったのでしょう。)

 

大病院なので、診療科も多いが、診察担当医師のCRTでは、受診している耳鼻咽喉科、放射線科、消化器科、口腔外科、循環器科等の診察データは過去、現在のものが見られ、撮影したMRIPETCT等すべての画像が見られ、週に2回程度受ける血液検査データや投薬中の薬等も見られる。

 

別のモニターだったかもしれないが、血圧、脈拍、酸素濃度等、給食摂取状況、排便状況等も見られるようです。(これらは、看護師さんが入力されている。)

 

昔と大きく違うのは、医学の向上、医療機器の進歩もあるが、これらのデジタル化、ネットワーク化が大きく進歩した事でしょう。

 

多くの患者も含めた膨大なデータが毎日、蓄積され、アップデートされる貴重なデータは、勿論、毎日バックアップされているでしょうが、そのセキュリティの維持がものすごく大事だと思います。

少なくとも、外部インターネットと繋がらない独立したループの中にあれば・・・

まあ、私のような素人が心配することではないと思いますが、ハッカーやアノニマスのように、外部から侵入し、データを消したり、使えなくする者も世の中には存在するので、注意し過ぎることはないでしょう。

 

 

32日目 5/19 THU

 

現在体重 70kg   水分の補給状況により69-71kg(水分だけでこれだけ変わるんだ!)

 

給食はすべて流動食に変更して貰い、食欲、栄養食補助(ヨーグルト状かゼリー状)も入れて貰っている。食べないと、週二回の血液検査(白血球の増減で免疫性低下の確認を、抗癌剤の影響で腎臓の機能低下していないか肝機能チェック等)に合格しないので、治療が進められなくなるおそれがあるそうです。今の所、異常なし。

 

便秘気味もあり、緩下剤とともに補水を多くするように言われているが、放射線治療で咽喉の後ろが痛いので、給食と同様に、水も思うように多くは摂れない。

今朝は、前屈みになって、水を飲んだら、痛みが弱かったので、これからはこの体勢で飲んでゆこう。(咽喉の後ろ側が焼けている状態だと思う。)

 

 

テレビやPCでニュースを見る時間が長く、興味を持って見ているニュースもある。

先日は沖縄返還50周年、朝ドラでは当時を映し出す「ちむどんどん」もやっている、物価高騰(外国為替は反対の円高だったが)等で、「50年前の日本の状態」と「今のロシアのウクライナ侵攻」を関連付けて考える。

 

私の基本的な考え方は、夢を持ちたいので、次世代の子供や孫達の時代がより平和で幸せに過ごせる世の中にしたいというものです。

 

50年前は、安保反対、大学改革等の学生運動がほぼ終わり(全学連とか赤軍派などの内ゲバはあったが、世論が物価以上に賃金アップで幸せ感が実感できると世論は落ち着く)、高度成長で働けば、夢が叶うと信じ、(会社側と労働者組合の交渉過程でストライキも多かったが)労働者も現金収入を求めて、地方から都市部へ集団就職する時代でした。

 

輸送についても、海ではコンテナ化(荷物の揚げ積みは陸上で行い、トラックで運び、船には定型のユニット(約20-30トン)を短時間に、大量に揚げ積みが出来、高速道路網(東名や名神も出来、耐荷重のある道路も作られた)整備が進んでいった。

 

国際社会では、57年前に中国も核開発成功し、米ソ以外にも数か国が核爆弾を持つ時代に入っていった。だからこそ、沖縄返還時の「核を保有せず、製造せず、持ち込ませず」の宣言が現在まで議論を呼んでいると思うのです。

核を持っている国も、どれだけの怖い兵器か知っているので、むやみには使用することはないと信じたいが、その影響力で脅迫に使用する国があるのは事実であり、そのバランスが取れていれば冷戦構造になり、バランスが崩れると「今回のウクライナ侵攻」のような事態も起きてくるし、それは、その国の指導者の論理だけで起きてしまうのです。

 

米ソ冷戦時代の60年以上前の中高校生だった私達は、このような国際問題も子供同士でも喧々諤々と議論していた(学生運動盛んな時代で、情報も新聞主体で、webのない時代だったから、情報が限られ、逆に議論するテーマが絞られていたからよかったのかもしれない)。

 

世界各地でも、アパルトヘイトの南ア、バングラディシュの内戦、独立、中東戦争、

モザンビークの内戦等があり、又、共産主義と資本主義の戦いの時代でもあった。

 

(当時の共産主義の国の人達の実際の生活を知っている人は、その頃日本で共産主義を広めようとしていた学校の先生の組合を含めどれだけ居ただろうか?今も情報統制と拘束という手段を使い続けなければならないのは、なぜなのか? 我々が、自分の頭で考えなければならないと思う。(勿論、日本国内を含め生活の厳しい人達も多く居たし、東南アジアの国々の人達も厳しい生活をしていたが、共産主義の国の人達(党員以外)はそれ以上に酷い生活をしていた。私の見聞した範囲!)

 

今の若者達はどのように考えているのであろうか?

子供達は、塾があって忙しく考える暇もないのだろうか?

 

今回の「ロシアのウクライナ侵攻」は、どのようにも正当化は出来ないが、現実に起きていることは認識せざるを得ない。そして、日本も同様な論理で侵攻された場合はどうするべきなのであろうか?

 

日本のように、建前と論理と性善説だけではなく、ケーススタディーを考えた準備だけはしておかないと起きてからでは遅いのです。これは、地震や津波でも同じです。

 

子供、孫達には過ごしやすい世の中を残す為にも、周りの人と議論してみよう。

 

 

33日目 5/20 FRI

 

私は8人兄弟の末っ子で、姉の2人が医療関係者で田舎の市民病院に勤めていたので、wifeの出産時を含め、親族等の病気の際には色々とお世話になった。

その一人の姉の子供(姪)が、幸いなことにこの大病院で働いており、色々とアドバイスや差し入れをして頂き、大変お世話になっています。特に、不安な気持ちを持った患者にとっては、その患者のその時の状況に合わせた適切な助言は最高の安らぎを与えてくれます。

 

本当に感謝の気持ちで一杯です。

 

入院中は、病棟の中に多くの看護士さんが働いて居られ、多くの人のお世話になっている。ルーチンで働いて居られるのも分かるが、夜中の見回りもあり、24時間体制のナースコールもあり、又、コロナ過での面会謝絶等の為、増えている仕事もあるようで、本当に動き回って働いて居られる。そんな勤務の中でも、いつも体調を気遣ってくれて、薬や過ごし方のアドバイスもして下さるのだから、「白衣の天使」(言葉が古いか?)には感謝で頭が下がりっぱなしです。

 

私は、小さな頃から自立実行、他人に迷惑をかけない、独立独歩等を念頭に置きながら、これを実行すべく生きてきたように思っていたが、今このように入院生活をしていると、実際には周囲の多くの人達から助けられて生きてきたのではないかと思っている。

(この歳になって、やっと気付くのでは遅過ぎるが・・・)

 

直接的に物理的に助けてくれる人もあるが、病気で入院している時には、気力を与えてくれるというか、頑張りたいという気持ちにさせてくれる言葉や無意識に笑顔になれるようなしぐさや態度等、受けて感謝することが沢山あり、人間って素晴らしいと思う。

今は、いつも誰に対しても感謝をして、花が咲いてくれても、「ありがとう!」って言って、親近感を感じています。 そして、「ありがとう!」って言われると、気持ちが少しハイになり、モチベーションを上げてくれると思うのです。やっぱり、「ありがとう!」は魔法の言葉ですね!

 

 

34日目 5/21 SAT

 

今日は、wifeが多くの差し入れと加湿器を持って来てくれた。

味覚が どんどん鈍くなるので、少しでも、何か味わえるものを頼んでいたのだが、味覚がおかしくなり、食欲がどんどん落ちてきた。 どのにか食べなければいけないと頑張っているのだが・・・

(やっぱり最後は、PEGを使うようになるのだろう!)

 

加湿器は、大正解でした。夜中に口や咽喉が乾き、4-5回起きて、口のすすぎ、うがいをし、マスクの間に濡れティッシュも挟んでいるが、加湿器をフルで動かしていると、部屋の空気が少し湿り気味になり、呼吸が少し楽になったような気がする。

看護士さんに勧められた方法ですが、良い方法ですねって感心してくれています。()

 

 つづく







Last updated  2022.05.23 08:26:27
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2022.05.17
カテゴリ:下咽頭癌

25日目 5/12 THU

 

「人間は、自然の内でもっとも脆い葦でしかない。しかし、人間は考える葦である。」(パスカル)

「真剣に考える事を学んだなら、残りは笑い飛ばせばよい。」(ヘルマンヘッセ)

 

私は、動き回れる環境であれば、まだ何かをしようと考えるのだが、この入院中では、頭で考えることしか出来ない。それでも、まだ、PCがあり、インターネットが繋がっている環境にいるということで、私の好奇心の発散が出来ているかもしれない。

 

私自身が何にでも、好奇心を持つ事と調べる習慣があった事を今は大変幸いだと思うし、嬉しく思っている。今後の老後にしても、好奇心を持てなくなったら、それこそ終末に近いのでしょう。()

 

これまでの生きた記録、退院後にやること(1カ月、半年、1年、5年経過した時点)、考え出したらきりがない位あるが、考えだけなら、その記憶も、すぐに消えてしまうので、少しずつ書いて残しておかなければならないのでしょう。

 

新たな読みたい本や調べたいことをネットで探し、PCで見ている。

若かりし頃には、ヘルマンヘッセやパスカルの名言や詩についてのめり込んでいた時期も哲学に興味を持ったこともあったなあと思い出し、今それを再度読み返すのも面白い。(何でも調べ直すか、考え直す好奇心が大事!そして、新たな発想力が生まれる!)

 

「大切なのは、疑問を持ち続けることだ。 神聖な好奇心を失ってはならない。」

(アインシュタイン)

 

多くの偉人には、名言、格言が多くあり、それらを解釈してゆくと納得することも多い。

哲学の一片に触れるようで、面白いのです。

 

なんて、のんびり入院生活を送っているようだが、実際は、口や唇が乾燥し、味覚は段々と益々鈍くなり、咽喉の通りが悪くなり、本当に食欲が落ちてきている。

 

頑張って食べて下さい。体重を落とさないように、蛋白質を取れるように、ゼリー状のカロリーメイトがお勧めですよとか、プロテイン入りのヨーグルトを試して、等々

色々とアドバイスを頂き、頑張っているので体重はなんとか維持したいと思う。

 

まだ、痛みがひどくて咽喉を通らなくなっていないので食べられるが、食欲がないのはつらいね!

 

話は変わるが、病気になったり、悩んでいる人に、ちょっと優しそうな言葉をかけながら近づいてくる宗教関係者?みたいな人が居ると聞く。自分の心が少し弱った時には、何かに縋りたいという気持ちは理解できないことはないが、根本は自分の意思であり、進むべき道を明確に持つことだと思う。

(それは、誰も分かっていることだが、それが弱っている時に来るんだろうね!)

 

私の母は、病気で亡くなったが、その末期頃には宗教関係者が信心しなさい、仏壇や花瓶を買いなさい、寄付をしなさい等々言われ、そうすれば、救われる、楽になれると言われたようです。しかし、それらには何ら理論的な根拠はないし、結果的に、実際に救われる部分が発生しなかったら、「信心が足りなかったのです。」で終わりになったらしい。

 

私は、現状を素直に受け止め、ポジティブに考え、出来るだけ、笑える環境を自分の周りに作ることが一番大切だと思う。 (宗教をすべて否定するつもりはありません。生活の規範となる教えを、心豊かになる教えを授けてくれる立派な宗教や指導者も多くあると思います。ただただ、心が弱っている人の中へ、薄汚い気持ちで、泥足で入り込むような宗教(者)だけは、絶対に許せないのです。)

 

 

26日目 5/13 FRI

 

放射線治療は110-15分程度で、最初の頃は、全く疲れなんて感じていなかったのだが、最近は食欲不良もあり、治療の後は、ベッドの上で休むようになった。

ひどい倦怠感はないが、やっぱり疲れ気味になっているようだ。

 

抗癌剤投与は月曜日なのだが、その影響は多分2-4日後が一番応えるのかもしれない。

 

入院して1カ月経過、治療も大体予定の半分位終わった計算になるが、この後、後半の1カ月位がしんどいらしい。

時間との勝負、時間が解決してくれると考える。特に、この癌は、完治している例が多いので、予定通りのスケジュールで、これだけやれば大丈夫だと考えられるようになったので、頑張る気力は維持できると思う。

 

いずれにしろ、病気になって治療を受けるのは大変苦痛です。この苦痛を受けないためには、普段から健康管理を意識して、節度ある生活習慣を維持することの方が、どんなに楽なことか、大事なことか分かります。

 

 

27日目 5/14 SAT

 

私が色々と頼んでいた差し入れをwifeが持参してくれた。ゼリー状か液体のものが主体だが、私の希望で海苔の佃煮や味噌風味ペースト等も作って持ってきてくれた。

食欲がないから、何か味を感じられるものやすっきりするものを口に入れたいと思う。

 

無糖のコーヒーゼリーはコーヒーの味が感じられて食べ易く、1個食べたら、食べ過ぎたように胃が少しもたれる感じになるので、少しずつ味わうだけにする。

 

「美味しいものを美味しく食べられる幸せ」が早く来てくれますようにと祈っています。

 

 

28日目 5/15 SUN

 

昨日と今日は放射線治療はないのだが、日々、味覚の劣化が激しくなっているようだ。入院食が食べ難いので、コンビニでざるそばを買って食べることにトライしたが、半分も食べられず、自分の味覚も大きく変わっていた。(通常は、あっさりした食感で、味もすっきりして、軽くスルスルと食べられたのだが・・)

 

今、食べられるものは、ヨーグルトや飲み物、ゼリーとおかゆ(7分かゆ)

おかゆの味付けは、にんにく味噌とゆず味噌が一番合った。ラー油うま味ミックス、ぽん酢、梅みそ、ショウガ味、ドライカレー等を試したが、頭で想像していた味と違い、不味く感じて食べられないものが多い。

 

兎に角、体重を落とさないように、何かをどうにかして食べなければならないと思う。

PEG(胃瘻)は出来るだけ使いたくないのです。

 

 

29日目 5/16 MON

 

4回目の抗癌剤投与。

朝食のパンも食べ辛くなっているので、コンビニでうどんを買って食べてみたが、1週間前と味覚も食感も違い、1/3も食べられなかった。

医師の検診もあり、食欲不振、味覚異常、口腔内の乾燥症状など、すべて予定通りの想定範囲内であり、計画通りだそうです。この予定では、69日頃までひどくなり、6月中下旬頃から回復してくるでしょうという診断でした。(後2-3週間が厳しいが、1カ月先には楽になると信じています。完全に味覚が戻るのは、経験上2-3カ月先になるでしょうとのこと、持久戦です!)

 

私は、生まれてから72年余り、人生で一番辛い出来事が、現状のこの入院、闘病生活だと思っている。良く考えてみると、これまで生きてきた私は、この入院生活、この程度の苦しい思いをした事のないような楽な人生を過ごさせて貰って来たということなのでしょうか! これからどのような人生になるか未定だが、少なくとも、これまでは、楽しく良い人生を送ってこれた事に対して、wifeを始め、子供、孫、兄弟、親戚、仕事の仲間、近所の人、その他すべての関係者に感謝しています。()

 

つづく






Last updated  2022.05.17 20:51:53
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2022.05.15
カテゴリ:下咽頭癌

20日目 5/7 SAT

 

wifeが色々と頼んでいたものを差し入れしてくれた。ファミマにあるものは、買えるけど、やはり、品数は少ないし、これが欲しいというものが出てくる。 欲しいものを味わえるとは嬉しいのものです。

(入院前には、欲しいものが直ぐ味わえるのが当たり前の生活を過ごしていたが、そんな生活が今は貴重だったと思う。そんなに美味しいものは少しずつ味わい、感謝しながら食べるべきだったと思う。完治して、味覚が戻ってきた時には、必ず、そのようにすると心に決めている。)

 

差し入れて貰った、自宅でいつも飲んでいたコーヒーを味わった。

慣れ親しんだコーヒーの味だけど、やっぱり少し味覚が変わるのは仕方ないが、飲み口や後味はすっきりしており、気持ち良くなった。

小さなサーモボトル一杯分は、その日に飲んでしまった。()

 

レトルト食品も持参してくれたが、口に入れた時の味覚をはっきりさせたいので、マヨネーズ、ケチャップ、ソース等の調味料の他に、ゆず七味、ゆず味噌やブラックペッパー等の味濃いめの香辛料があった方が良いと思うが、刺激が強過ぎるものはダメだそうです。

(味覚は衰えていても、なんとか食欲をつけて、食べられるように努力しています。)

 

テレビを見ていると丸亀うどんのトマたまカレーや水餃子の柔らかい味の濃いめのものも食べてみたいなーと感じる。 量は食べられないので、ご飯の代わりに汁椀に入る量で良いのだが・・・
実際に食べてみると、やっぱり食感が違うのだろうなー!

他の入院者は、ファミマのラーメンやご飯ものも食べているみたいです。

 

放射線治療で舌の感覚が変わっているのも事実だが、抗癌剤治療で吐き気止めを入れているのもあり、それで食欲減退している。とにかく、気持ちだけは、食べようと努力している。

 

 

21日目 5/8 SUN

 

連休最終日で、孫のダンス発表会があり、その映像を送って貰った。

携帯で見るダンスも良かったか、画質の良いファイルをPCにダウンロードしてみるとはっきり見えるし、動きも良いので最高でした。

最初は少しダンスに硬さがあったが、メインのブレイクダンスに部分になったら、自信を持って踊り、倒立もきれいに決まった。そして、その流れで繋がるダンスの時には少し微笑みながら楽しそうに踊る格好を見て、嬉しかったねー!

今回のビデオを何度も見ているけど、2カ月以上前から、一生懸命練習を頑張ったビデオも見ているので、それらの努力の成果が、緊張しながらも、あの大きな美しいステージで堂々と発表されたんだと思う。感動した。私にも頑張る気力を与えてくれる!ありがとう!

 

これは、彼にも大きな自信を与えてくれたしだろうし、彼の弟にも素晴らしい感銘を与えた事だろう。

 

 

22日目 5/9 MON

 

今日で放射線治療は1/3終了   抗癌剤治療は、3回目(3週目)

放射線医師診察、咽喉科医師診察 両結果とも、予定通りとの事。

 

咽喉、口腔内や唇の渇き(乾燥)が激しくなってきたが、もう少し程度が上がってくるだろうという説明であった。先生はあまり先の事(特に悪い方向)の予想はさせないように、現状の症状を緩和する方法を考えてくれるような感じです。

 

昨日から何度も見ている孫のダンスのビデオ、感動して、普通なら涙もろい私は、涙目になるのだが、現在は、放射線治療の影響で顔の中まで乾燥気味で、唾液だけでなく、涙も出難いようになっているようです。

 

                                     

23日目 5/10 TUE

 

大体週に1度は、患部のCTと胃カメラの撮影があるが、これは途中経過の診断と記録の為だそうです。どちらも予定通りの治療具合と云われている。だんだんと放射線で焼いている部分が多くなると、咽喉の痛みや通り難さが増してくるでしょう。

 

入院して25日、朝顔を洗って化粧水を付けているだけだが、入院中は外に全く出られないから紫外線にも当たらない為なのか、肌が赤ちゃんのように?柔らかくツルツルになったように感じる。(紫外線の浴び過ぎは有害なのでしょう。退院時にはどうなっているか?)

但し、色白になった分シミは多くなったようで目立つようになっている。苦笑

 

 

24日目 5/11 WED

 

この癌の原因は、過去に経験した酒、たばこが90%以上と云われ、体力や免疫性の低下が癌の発生要因とされている。

年齢を重ねるにつれて、体力の衰えは防ぎようがないが、これも低下するスピードを出来るだけ遅らせる努力は必要だろうし、接種栄養や食事のバランスも大事です。

免疫性を落とさない為には、笑える生活や夢見る出来事、嬉しい知らせ等が一番良いと言われている。

 

入院中は、体力を維持する目的で、出来るだけ給食を食べること。

運動は、朝晩に呼吸法(深呼吸)20回、腹筋20回、ストレッチ20回、血管体操5分、スクワット20回、腕立て伏せ20回をやっている。その他、歩く事が少ないので、便秘を防止するため、朝食後には腿上げかスロージョギング運動を5-10分している。

心配しないで下さい。無理はしません、しんどくなるまでしないし、何もせずにテレビを見て寝ているだけの方が苦しいのです。

 







Last updated  2022.05.15 07:21:53
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カテゴリ:下咽頭癌

12日目 4/29 FRI

 

連休に入り3日間治療なし。しかし、放射線治療した後の症状が少しずつ現れる。

 

咽喉の中が日焼けしているようで、まだ、痛みはないが乾燥気味になっている。

味覚や食感が変わり、食欲もなくなってきたようだ。

今は出来るだけ柔らかい野菜や魚を食べようとしているが、美味しくない。ヤクルトやゼリーのようなすっきり味のしっかりしたもの流動食が良いのかもしれない。

 

13日目 4/30 SAT

 

午後、wifeが洗濯物等と一緒に、好物の鰻のかば焼きを持参してくれ、夕食時に食べた。

ウナギの味はして、山椒の葉の香りや大葉の味もウナギやたれの味も分かるのだが、味覚が少し変わっているのか、「美味しーい」と思える感じが半分位に落ちているようだ。

1カ月半、益々味覚もなくなるのだろうな・・

 

 

14日目 5/1 SUN

 

病院内のファミマで、少しスイーツを買う。特に、食べたいものがあったわけではないが、口の中の感触や味覚をチェックするためで、甘さ等はまだ正常のようです。

食事自身が薄味なので、少しオリーブオイル、マヨネーズやケチャップがあれば良いかもしれない。

 

 

15日目 5/2 MON

 

連休明けの抗癌剤接種日(2回目)

7時頃より採血から始まり予定コース  ちょっと時間がかかり、1630時終了

血管が浮かび上がりにくい体質になっているので、注射針を入れるのが難しい。

今朝から朝晩腕立て伏せをやることにする。(効果あるか?)

 

16日目 5/3 TUE

 

放射線治療のみで、特記事項なし。 病院内は連休で静か!

 

17日目 5/4 WED 

 

昨日と同じ。

 

18日目 5/5 THU

 

今日は治療なし。

入院生活も、多分三分の一位経過したのではないだろうか? 治療の副作用もまだ大きく出ていないせいか、落ち着いて過ごしている。

私の入院経験自体が30歳頃に疲れと暴飲暴食で脱水症を起こし、救急車で運ばれ、3日程度入院してから経験がないので、現在の入院事情を楽しもう?と思っている。

 

朝は明るくなると(0520時頃)目が覚め、夜は2100時が消灯なので、それまではテレビでも見られるが、その後は携帯電話を見る程度で、就寝する。

私は日頃から早寝早起きの習慣だったので、特に、時間を持て余すことはないが、朝の散歩や花いじりが出来ないので運動不足になる。

 

日中は、定時(一日4回、体温、血中酸素濃度、血圧等)チェックがあり、呼び出しがあった時には治療に向かい、毎月曜日だけ、抗癌剤接種で点滴治療時間が長い。

大体、放射線治療は、平日のみの計算で、35回(約1.8カ月)で計画されている。

 

入院食(給食)は、大体予想通りの食事で、味の薄い健康管理されたものです。

食事は、味覚が変わったり、食物や水分の咽喉の通過が悪くなるので、薬の効果を上げるためにも体重を大きく減らさないように注意されている。

食べたいものがあれば、差し入れしてもらうか一階のコンビニ(24時間営業なので、外来者の来ない夜間や休祭日に行く事が許可される)で好きなものを購入して下さいと言われている。体重は入院時76kg、一週間後74kg2週間後74.5kg、3週間後72.3kgとなっている。

 

病棟内は、コロナの関係で面会謝絶なので、荷物の受け渡しは、病院関係者にお願いすることになります。 

 

 

19日目 5/6 FRI

 

2カ月ぶりに1Fの理容院で散髪。 次は多分退院した後、2カ月後位にカットすると思うので、少し思い切って刈り上げた。

治療が進むに従い、段々と抵抗力が下がり、感染症にかかり易いから、マスク、手洗い、うがいは欠かさないようにと何度も注意喚起されている。

 

ダイエットの秘訣は理解できた。 食べるものがすべて不味くなると、食べたいという気持ちがなくなり、食べようと意識しても、せいぜい半分の量しか食べられない。無理に食べると、余計に食べる事が苦痛になってくる。

 

つづく






Last updated  2022.05.15 06:53:01
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2022.05.03
カテゴリ:独り言

もう、50年以上前のことになるが、その頃の経済や社会情勢等、子供にも話して聞かせた事もないので、この機会に書いてみようと思います。

別に知っていてもどうって事はないのですが、知識として持っていても損はしないと思います。

 

1970年(昭和45年) 私が、20歳で社会人となり働き始めた年です。

大阪では万国博覧会が開催された年でもありますが、日本は、1964年の東京オリンピック、新幹線開通、東名高速道路開通したこともあり、高度成長路線を走っていました。

 

一日16時間位労働する会社はざらにあったし、土曜は平日で、日曜も仕事があれば、働くのが当たり前でした。

環境問題でいえば、日本中の人が住んでいる近くの河川や沿岸の海水も茶色に汚れ、コンビナートのあった港湾では、茶色の海水とともに、悪臭があった時代です。

 

こんな生活環境や習慣の中でも、国民は、夫婦も子供も、家庭や働く場はこんなに大変で厳しくても、戦後のみじめで、貧乏な時期を考えると、この成長は明るく活気に満ちた時代で、将来の夢(生活向上)を見て、日本の為になると信じて、頑張っていたと思う。

 

経済の事は専門家ではないので、自分の解釈違いや判断などあるかもしれないので、参考にして頂く程度にして欲しいが、2022年の今の状況と1970年当時、1989年バブル当時、その後の日本の経済の舵取り等 その時々の私の知っていた事を暇を見ながら書いてみたいと思います。

 

 

1970年頃は、大卒でも月給は4万円位で、銀行の預金利子は3.5%くらいでした。

1972年には、月給6万円位、銀行利子は6%位になり、郵便局の養老教育保険は子供が出来たら必ず入っておくように、流行になっていました。

ある会社では、社内定期預金の利子は9%あるときもあった。(会社も銀行から借りる金利は12%位だったらしいので、少しでも社員からのお金を活用していたのだろう。)

 

 

当時の国際的な経済状況は、東南アジアでは日本が少し突出しており、韓国、中国、台湾、シンガポール等も非常に貧しい国でした。バングラディッシュは、東パキスタンと言っていた時代でしたし、世界中で至る所で内戦が行われていたし、スエズ運河も中東戦争で閉鎖中でした。

原油価格は、1バレル当たり2ドル以下で、サウジアラビア等では、飲料水の方が高価でした。

 

 

当時、日本は、1us$360円の固定相場であり、使用できる外貨は1カ月に30ドル迄とか、一回の海外旅行(海外への新婚旅行も少なかったが)では1000ドル迄とか制限がありました。

 

USAに行くと、日曜日等には、教会のサルベーションとかファーマーズマーケット(今の蚤の市かメルカリみたいだが、利益を考えない、ボランティアの市)があり、僅かなお金で、中古のリーバイスのGパンや運動靴等を山ほど買っていた思い出がある。(何でも11ドルであった。 Gパンは、どんなにハードに使ってもくたびれず、この時代までは、日本製は安いけど品質の悪いものという意識があった。)

 

 

1972年に佐藤内閣が田中内閣に変わったが、列島改造論もあり、高度成長は続いていた。

 

1973年為替が固定相場制より変動相場制に変わり、73年~75年は1ドル265~300円であったが、78年には152円まであがった。

 

給与水準は、労組の強い時期でもあり、ベースアップや定期昇給は毎年10-15%あり、為替で円の価値が倍以上になったこともあり、対外的な円の力、円の活力を実感し始めていた。

1973年には第4次中東戦争が原因で第一次オイルショックがあり、原油の値段が70%上げられ、(1バレル12-15ドルへ)、日本の消費者物価が25%上昇し(狂乱物価といわれた)、インフレ対策含め日銀金利が9%となり、庶民は買いだめに走り、町からトイレットペーパーがなくなったりする混乱もあった。

当時の労組は強くても、長期の展望をもっていなかったから、色々な業種で意味不明な長期ストライキ(第一義はベースアップだが)をやり、益々混乱と不況への道を歩き始めた。

 

1973-1978年頃は、物価上昇に耐え、生活を現状に合わせて、収支を整え、大人しくて賢い日本人のお蔭で、不況は小さく短いものに抑え込み、日本の国力を整えていたと思う。

 

1979年のイラン革命(翌年には、イラン・イラク戦争)を発端とした第二次オイルショックでは、原油価格は38ドルまで上がったが、日本の消費者物価は例年通りの5%程度の上昇で済み、大きな混乱も起きなかった。従って、原油価格は、20ドル―25ドルに下がり、落ち着いた。

 

 

1970年頃は、都市部の住宅の建設ラッシュで、2LDKの団地サイズがリッチなサラリーマン家庭の住居であり、風呂はない家も多かったが、有っても人一人がやっと入れる程度の浴槽のある1畳の浴室であった。(公衆浴場はどの町にもあった。)

3種の神器とも言えたカラーテレビ、クーラー、自動車も、一般サラリーマンでも手が届く時代になってきた。

 

私も1975年 これまでに稼いで貯金してきたお金を注ぎ込んで、初めてのマイカーを購入した。1年落ちの中古車 三菱自動車 ランサー SL1400   当時、65万円であった。

本当に欲しかったもので、時間があれば、ずっと触って、磨いて、整備していた。()

 

1978年には、この車に乗って、広島から島根、鳥取、福井、石川、富山、岐阜、長野、群馬、栃木、福島、宮城、岩手。青森を走って、北海道を一周した後、小樽からフェリーに乗って帰った。

所要時間2週間、費用12万円(ガソリン代、高速道路代、フェリー代が10万円、北海道旅行期間中の平均運転時間16-18時間、睡眠時間5時間程度、フェリーに乗る前の北海道では、7kg位体重が減っていた。)

 

あんな無茶な旅、二度とできないけど、今頃になって「若いって素晴らしいかったなー!」と思う。

 

 

2022年 現状の経済状況は、コロナパンデミックの後遺症、ロシアのウクライナ侵攻の影響で物価高騰(エネルギー、食糧他)があるが、1970年頃と比較しても別に大きな問題だとは思わない。(ロシアが核を使用するとか、他国を侵略する問題は絶対にあってはならない大問題だが、物価高騰や世の中の落ち着きを取り戻す手段は、現在の方が取り易いのではないかとも思う。私見)

 

現在の日銀や政府の為替の政策は「良い円安」という間違った為替誘導の方法を使っているとしか思えない。

為替は実態に応じて変わるものであるが、急激に変わると、どちらに触れても良い結果は生まないし、展望のない(根拠のない)政策では、悪い方向にしか進まない。

 

近年約10年で、東南アジア諸国は飛躍的な経済成長を続けており、シンガポールや韓国さえ国民一人当たりのGDPは日本を超えた。

2019年のように、諸外国から観光客が集まるのは、名所旧跡やおもてなしを探求しに来るのでなく、物価の安い日本を翻弄させたいのではないかとも思う。

都会でも田舎でも、土地を中国に買い占められている所も多いと聞くが、こんなので良いのでしょうか?

 

日本に住んでいれば、円安が進んでも問題ないという政治家が居たし、現状分析も出来ていないから将来の展望を開けない政治家も多い。

 

1970年当時の日本は、貿易立国で輸出から輸入を差し引いた資金(黒字)が、殆ど、純粋に日本の収益になっていた。経済界も活力があったので、世界で一番の特許登録件数もあった。国民に低賃金の低条件下でも労働を強いてきたという面もある。

ただ、一番違うのは、この頃の労働者にも家庭にも夢があったから頑張れたのだと思う。

 

 

現在は日本大企業の多くは、外国に工場を作り、生産販売をし、金融会社系は、外国債券や株式に投資している。円安がそのまま輸出企業の業績に単純に付加されることはなくなってきている。

為替は、国民の生活バロメーター(国力やGDP等)になっているのではないだろうか?

良く国際比較で、マクドナルドのビッグマックの価格だが2010年頃まで日米の価格はほとんど同じだったが、現在は、USA700円、日本で390円、韓国でも450円。尚、個人収入はUSAは約倍になっており、日本は0倍で変わらず(比較の仕方によってはマイナス)。

 

日銀や政府は、インフレ目標を掲げ、金融緩和、円安誘導ばかりを何かの一つ覚えのようにやっているが、1970年頃と違うのは、インフレにするには、賃金を上げるのが先であり、欲しいものを作り、需要を喚起する(国内は勿論だが、国際的にも)。その後は、単価を上げて行けば、自ずとインフレになるのではないだろうか!

 

そうなれば、現在の大きな国の赤字国債も減らせるだろうし、将来への投資もより多くすることができる。 子供達、孫達の時代には、夢を見られる、希望を実現できる未来を作りたいですね!

 

以上 個人的意見と感想でした。 

 

 







Last updated  2022.05.03 18:00:27
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2022.04.26
カテゴリ:下咽頭癌
3月8日 人間ドックで書いてもらった紹介状を持参し、大きく有名な病院で受診、直ちに、内視鏡検査で視認診察及びサンプルを採取し、診察。 その時点で、殆ど「下咽頭癌」でしょうと言われた。

正確には、15日に生理検査結果が出るので、その後の予定を決めましょうと言われた。

3月15日 受診で、正式に「下咽頭癌」「扁平性上皮癌」と言われ、入院前の色々な検査の予約と現状での治療方法、概算治療期間等を説明された。
この時点でも、身体は元気だし、どこも痒くも、痛くも、ないんだが、癌という言葉には、日頃強気の元気な言葉を発している私が、大きなショックを受けるし、自分がこんなに打たれ弱い人間だと分かると落ち着け落ち着けと言い聞かせてばかりいた。 最終的には、「なるようになる!」で割り切る。

3月17日 PET検査  ブドウ糖を体内に入れ、その拡がりで、癌部分、癌の転移状態が分かる

3月25日 MRI検査 癌の部位の範囲、深さ等を調べ、治療期間、治療方法、放射線を当てる時間、角度      
          等を計算する元データとなる。

3月28日 耳鼻咽喉科再診、 血液検査、尿検査、口腔外科受診(放射線治療前に、虫歯があれば抜いて  
              おかなければならない。 歯に異常を発生させないように、洗浄消毒を1  
              日4回しっかりやるように指導される。)PET検査、MRI検査結果から一つ  
              の原因の病巣は症状レベル2だが、リンパ腺に転移しているので自動的に
              症状はレベル4となる。

4月1日  消化器外科 内視鏡検査(胃瘻=胃に穴を開け、お腹の外からパイプを通して、栄養を補充さ
           せる方法) 放射線や抗癌剤治療を始めると食事を摂れなくなる人が多いので、
           予備対策 

4月4日  放射線治療科 PET検査、MRI検査結果から放射線の治療の方法の説明を詳しく説明される。
            治療はリニアック(高精度放射線治療システム)で行うので、その治療の計算        
            (放射線を当てる場所、角度、強度等を計算し、又、入院治療全体で70グレイ                 
            以下の放射線量にする。)
            放射線用顔面固定マスク型取り

4月5日         腹部CT撮影、咽喉部CT撮影
     消化器内科  診察、内視鏡胃瘻作成PET作成手術の説明
            入院申し込み、入院説明

4月15日        入院前PCR検査(入院出来るのは、PCR検査で合格後2日経過要)

4月18日  入院

入院まで色々な検査があり、日数がかかるものだと初めて知った。
それでも、最初の診察から、このコロナの時期に40日後には入院出来るのは非常にhappyだったと思います。
癌の可能性が疑われると、連れ添いか保証人のような人を連れてくることも希望される。
病院に行くのは元気だから一人で良いよといって、wifeを連れて行かなかったら、次の説明の時には一緒に来て下さいと言われました。(苦笑)

病院に入院した経験がほとんどなかったから分からない事が多かったのです。(笑)






Last updated  2022.05.14 15:06:44
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カテゴリ:下咽頭癌

健康は最高に価値のあるものであり、お金では買うことが出来ないと分かっていたのですが、子供の頃からの自分の健康に自信過多となり、つい、初老になってから、あまり身体を動かさないのに、美味いものの食べ過ぎ、酒の飲み過ぎ等不摂生をしていたのかもしれない。


タバコだけは20歳から55歳まで35年喫煙してが、急遽思い立って、禁煙し、現在17年経過していた。

人間ドックは自分の健康バロメーターとしていた事もあり、55歳までは毎年1回、56歳からは毎年2回の検査を受けており、検査数値は62歳まではすべての項目で問題はなかった。
(但し、段々と体重が増加する傾向になると、2週間前からは禁酒、食事は野菜主体として、出来るだけ汗をかくようにしていたが・・)

ただ、62歳後半に心房細動が出たが、別に体調は問題ないので、薬を飲みながら通常の生活をしていた。

(流石、70歳を超えるとなかなか、1カ月前から節制しても、検査数値をクリアするのが難しくなり、再検査や精密検査等が要求されるようになっていた。)


今回は、3月3日に人間ドックを受診し、その胃カメラ検査をした時、咽喉の内側に晴れたものが見つかり、予約が取れたらすぐに、総合病院で精密検査を受けるように指示されたのでした。

本人は、その咽頭部は、痛くもないし、食事も何でも食べられるし、異常を感じていなかったのです。
ただ、後から思うに、夜中に咽喉部からの痰というか唾液というか出易くなったなーという感じは持っていたが、花粉症の症状の一部かな位に思っていたのでした。

つづく












Last updated  2022.05.14 15:04:31
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2022.02.11
カテゴリ:独り言


昨日、義母が968か月で永眠しました。

数日前から体調を崩し、入院していたので、お見舞いに行くことにして、このコロナ過の時期、2日以上前に抗原検査で陰性を確認し、病院の面会許可を得てから出発しました。

本人の妹(94歳)、息子(70歳)、娘二人(74歳と72歳)とも時間を合わせて向かいました。

本人には、前日に面会者が来ることを知らせており、当日も体調良さそうに、朝食は茶碗半分を食べていたそうです。

しかし、その1時間後には、体調が急に悪化し、私達は病院まであと1時間というところで、緊急呼び出しの連絡が入り、間に合うようにと祈りながら、病院へ急ぎました。

11時過ぎ 病院の駐車場にて面会予定者がそれぞれの車で到着し、病室へ向かいました。

本人は、眼は開けていなかったが、耳元で話しかけると、聞こえているように、首を振ったり、手をかすかに動かしたりしてくれた。

1154分 穏やかな表情のまま、近親者に見守られて、天国に召された。

(血色のあった肌の色も、見る見るうちに白くなり、体温も驚くほど速く、低下していった。)


色々と沢山苦労してきた人生だったかもしれないが、生存している近親者みんなに見守られ、亡くなるまで足は少し不自由していましたが、頭脳は明晰でした。

私も、長患いせず、みんなに「ありがとう!」と言われながら旅立つ、こんな死出の旅に出たいな!と思わせる大往生でした。(合掌)









Last updated  2022.02.11 11:03:24
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2022.02.07
カテゴリ:旅行
鈍川温泉のせせらぎ交流館に立ち寄ってきました。
四国 伊予の3大名湯といわれる 道後、鈍川、本谷の中では、道後温泉が有名過ぎるので、その他は観光客も非常に少ない。 しかし、湯はこの三か所とも弱アルカリ性で、ラドンも含み、さらっとして、ツルツルになる美人の湯なのです。

下の写真で分かるように、建物の傍には木地川の清流が流れ、中に入ると昭和レトロな雰囲気が一杯で、レコードEPのジャケットやポスターが並んでいる。
浴室内には、美空ひばりの歌声がエンドレスで流れ、少しぬるめのお湯なので、ゆっくりと長湯できます。

地元のお年寄りと一緒に、温泉でピッカピカの肌になりました。
(これで、高齢者は340円、大人420円の入浴料でした。これなら、この近くに住んで、毎日通いたいと思いました!)(笑)

売店には、地元野菜とともに、大きな伊予柑も安く売っていましたよ。

















以上






Last updated  2022.02.09 08:39:25
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カテゴリ:旅行
今治城 1602年に藤堂高虎により築城が開始され、1604年に完成したという。
当時は、3重の大きな堀があり、海水を入れて、船も入り、軍備面でも、運輸面でも優れた城(日本三大水城の一つ)です。

石垣と堀がほぼ江戸時代のものである。





















すぐそばの来島大橋




以上






Last updated  2022.02.07 10:38:23
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