カテゴリ:行動のポイント
私の母親は82歳で亡くなりました。その母が生きていたころの話です。
以前は田舎で稲作りを中心とする農業をしておりました。 しかし、交通事故に遭い、ついに田んぼを人に預けて引退しました。 そして自家用野菜作りだけになりました。遺族厚生年金等を受給しており、生活費には困っていません。最近は近所にも未亡人で一人暮らしの人が増え、毎日毎日、ダベリングの悠々自適の生活です。 食べ物は、数年前に近所に大きなスーパーができて、刺し身から天ぷら、お惣菜までなんでもそろっており、お金さえだせば何でも手に入ります。近所の人は、最近自家用野菜も作らなくなり、うめぼしなどの加工食品もその多くは購入するようになりました。 実はこうした生活は、夢のような理想でした。特に、戦中、戦後にかけて経済的に苦労したのちに、やっと掴んだ物質的に豊かな生活でした。牛や鶏も飼う必要がなくなり、何日も泊りがけで旅行も楽しむことが出来るようになりました。また、カラオケ教室をはじめ、趣味やスポーツ、文化講座にも参加して思う存分生活を楽しむことが出来るようになりました。今まさに料理のわずらわしさから解放されましたし、掃除や洗濯などもほとんど手がかからなくなりました。 そんな何も悩むことがないような母親がいうのです。旅行もたくさんしたし、もう行きたいところもなくなった。食いたいものもない。もういつお迎えが来ても思い残すことはないと。つまり、現在便利さと引き換えに、生きていてもおもしろくない。生きがいがないというのである。若いころのような充実感がないのである。 家族の食べるものを作り、料理するという日常茶飯事のわずらわしさから解放されて、浮いた時間でもっともっと生活を楽しみたいと思っていたことは間違いだったのであろうか。 若いころは、自分の食べるものはほとんど自給自足でした。米、麦をはじめさまざまな野菜、味噌、しょうゆ、そば、うどん、団子、卵、鶏肉、つけもの、梅干し、ラッキョウ漬、ドブロク、ぶどう酒、栗、川でうなぎや川魚を取って生活していたのである。馬や牛、鶏も飼っていた。馬や牛は農耕にも使っていた。そうした雑事は、面白しろみがなく、わずらわしいものではありますが、生きがいずくりには役立っていたのではなかろうか。 自分の必要なものを作るための日常茶飯事に真剣に取組むことは、気持ちに張りを持たせ、気ずきや工夫が生まれ、その人の生きがいをつくりあげ、家族との絆を強固にし、近所の人たちとの交流が生まれ、心身とも活き活きと生活していたのではないでしょうか。 このことからいえることは、日常茶飯事や雑事を無視して、けっして人生は活性化しないし、反対に人に負担をかけたり、人に甘えることになるということです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.01.12 20:22:52
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