カテゴリ:子育て、しつけ、教育
森田理論学習の「純な心」でいつも例に出されるのが皿を割った時の話です。
「しまった、おしいことをした」驚いて思わず繋ぎ合せてみる。 ここから出発すればよいが、「こんなところへ皿を置いておくのが悪い」 「いまさら繋ぎ合せても仕方がない」「どう言い訳をしようか」 等と考えて対応策を考えていると状況は悪化していくということでした。 平井信義さんが、子どもがお母さんの食器の収納の手伝いをしていた時、持っていた皿を割った時の対応について説明されています。 皿を割ったことにこだわっているお母さんはこんなことを言います。 「なにやってるのよ」「あんたがちゃんと持たないからこんなことになるのよ」 「不注意な態度のあんたが悪い」 「もう手伝わなくていいから、あっちに行ってらっしゃい」 言葉だけではなく、なかには叩いたりして体罰をあたえる親もいます。 そのうち、「あなたは普段から落ち着きがないからこんなことになるのよ」 などと、皿が割れたこととは関係のないことを持ちだして、子どもを非難します。人格否定です。 子どもは親から叱られるのをじっと聞いていると嫌になりますから、手遊びなどを始めるでしょう。 そうしますと、「人の話をちゃんと聞いていない」などと言って、さらに叱ったり叩いたりします。 子どもは皿を割った瞬間「しまった」と思っています。 だから親はそれに輪をかけて叱りつける必要はないのです。 皿は壊されたけれども、これを機会に、それを子どもの人格形成に役立たせるにはどうしたらよいのか考えてみることです。 それには、失敗の体験を成功の体験に変えてあげることが大切です。 そのためには「この次には頑張って上手に持ってね」と励ますことが必要です。 こうした励ましの言葉によって、子どもは「この次にはこわさないで運ぶんだ」という決意とともに、困難に挑戦しようという意欲が盛んになります。 そして子どもが次に挑戦してくる機会を待つことです。 次に挑戦してうまくいくと、「ヤッタア」という気持ちになります。 親は両手をあげて喜んであげましょう。 こういう態度でいると、子どもは小さい成功体験を積み重ねて自信をつけて、自己の存在意義を確かなものにしていくのです。 後始末はどうしたらよいでしょう。 「自分でしたんだから、自分で片付けなさい」 あるいは、「じゃまだからあっちに行ってらっしゃい」と命令し、自分でさっさと片付けてしまうのはいただけません。 子どもの人格を伸ばそうとしているお母さんは、こわれた破片がどのように飛び散っているか、それをどのようにすればきれいに後始末できるかを、子どもに教えるために、子どもといっしょに後始末をするものです。 大きな破片を取り除いた後、小さな破片は、新聞紙を水でぬらしてそれをちぎってばらまき、それらをほうきで掃くとか、ガムテープを使ってそれに貼りつかせるとか、いろいろな方法がありますから、それらを子どもに教えることは、次に失敗をしたときの後始末を自分できちっとすることのできる子どもを作っていくわけです。 つまり子どもは、親がいなくても、壊したものを適切に処理することができるようになるのです。 (子どもの能力の見つけ方伸ばし方 平井信義 PHP参照) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.07 09:59:11
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