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森田理論学習のすすめ

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2017.06.16
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カテゴリ:生の欲望の発揮
プロ野球の試合を見ていると、1本のヒットやホームランを打たれると、それまで好投していたピッチャーが急に崩れてしまうことがある。これはなぜか。精神状態が冷静さを失い、本来相手打者に向かう戦闘意識が自分自身に向けられてきたからではないかと思う。
それはあまりにも完全・完璧を求めすぎるからではないかと思う。
その証拠に、後からのコメントで何が何だか分からなくなりましたと言っている。
その時点でもはや勝負師ではない。相手への戦う戦闘意識がなくなり、ごまかしたり逃げたりするようになっている。

反対に、ヒットやホームランを打たれたり、先取点をとられても、以後見違えるような投球をする人もいる。そういう人は、後からのコメントであのホームランで目が覚めました。
緊張感を高め、相手打者に向かっていく闘争力に火がつきましたというようなコメントをしている。
失敗をプラスに捉えて、いい意味での緊張感を高め、勝つための努力を積み重ねている。

同じような能力を持ったピッチャーが、どうしてこのように両極端に分かれてしまうのだろうか。
立ち直れないピッチャーは、 1から10まで相手打者を完璧に抑えなければならないと考えているのではないか。
相手打者に1本もヒットを許すことはできない。ましてやホームランを打たれるのは論外である。
相手チームに得点を許すと、すぐに監督から選手交代を命じられるかもしれないと考える。

その点立ち直れるピッチャーは考え方が全く違う。
「ヒットを打たれるのは当たり前。うまく打ちとることができればラッキー」と考えている。
普通のプロ野球の打者は、 4回に1回ぐらいはヒットを打つ。優れた打者は3回に1回ぐらいはヒットを打つ。ピッチャーが打者3人から4人に対決すれば、普通は1本くらいはヒットを打たれる確率がある。
ピッチャーはヒットを打たれるのが仕事のようなものだから、ヒット打たれても次善の策として連打を許さないようにする。
回が押し迫ってくれば、最悪ヒット打たれてもいいが、長打だけは打たれないように配球を考える。
調子のいいバッターに長打を打たれるぐらいなら、フォアボールで歩かせても良い。
次の打者を抑えて、得点されなければ100%の仕事をしたことになる。
仮にに得点されても、大量失点を避けて、最少失点で切り抜ければ万々歳だ。
野球ではよくクオリティースタートすれば、 仮に試合に負けても、ピッチャーとしての責任を果たしたとみなされる。
つまり、先発ピッチャーが6回を投げて3点以内に抑えたなら、監督や球団の査定は勝ち投手並みの評価をしてくれて、年俸のアップにつながるのである。

つまり立ち直れるピッチャーは、最初から完全・完璧は求めていないということだ。
自分の予想が外れることを十分に考慮し、結果が悪くても、ここまでだったら許せるという基準を持っている。
その基準を最悪から最小まで何段階も持っており、その時の状況に応じて目標の再設定を行っている。
最初から完全・完璧を求めていると、予想と反対のことが起きると、気持ちを切り替えて対応することができなくなる。
その時の目線が上から下目線になっているために、どうしても不満足な出来映えについて批判したり否定するようになるのである。
立ち直れるピッチャーは、目線は下から上目線になっている。全ての他者を押さえ込みたいという気持ちは強いが、予想と外れた結果のことも頭の中に入っている。
予想と外れた時に、次にどういう目標を設定し、どのように動けば良いのか、頭の中でいろんなシュミレーションが行われている。
だから失敗した自分の投球動作や配球について反省するよりも、次の打者に向いている。あるいは、盗塁をされないように出塁した打者に向けられている。

森田先生は、人間は完璧を目指さなければならないと言われている。
しかし「かくあるべし」で完璧主義者になってはならないと厳しく指摘されている。
これをプロ野球の世界でいえば、完全に打者を押さえ込むために、日頃の相手打者の研究と技術の向上はどこまでも続けていかなければならない。そのような努力を続けても、結果に結びつかないことがあるかもしれないが、その努力を放棄することはもはやプロ野球の世界で活躍することはできなくなる。
完璧主義、完全主義は、一害あって一利なしである。完璧主義は本来相手打者に向かうべきエネルギーが、自己否定に向かい、苦しみを抱えて自分が消耗して行くばかりである。プロ野球の選手ならそんなことはしないはずである。
我々も生き方としては、完全主義に陥るのではなく、現実や現状を踏まえて、できうる限りの完全を目指して努力しつづけることが大切なのである。





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Last updated  2017.06.16 06:30:09
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