カテゴリ:生活の発見会・集談会
1983年に高良興生院で森田療法の研修をされた精神科医の市川光洋医師のお話です。
ある心臓神経症の患者さんが入院森田療法を受けにやってきた。 臥褥中に、夜1人で寝ていると 「心臓が止まるのではないか」と不安で耐えきれず、夜中に当直の看護師さんに、 「今にも心臓が止まりそうだ」と内線電話で訴えた。 看護師さんは最初は黙って聞いていたが、同じことを繰り返し言うので、最後は、 「死ぬのは運命です」と言われた。 本人はびっくりして、 「もう相手にしてくれない。これはしょうがない」と思って、その不安のまま、ずっと布団の中で横になっていたら、気がつかないうちに眠ってしまい、朝スッキリした気持ちで目覚めて、不安がなくなっていた。 この方がある日庭で作業をしていると、高良先生がやってきて、 「君、あの坂を駆け上ってこい」と言われた。病院から目白通りに向かってずっと坂になっているのです。 この方はびっくりして、 「いやいや、まだ自信がありません」 「不安でダメです」とか言って躊躇したり抵抗していた。高良先生は、 「倒れたら僕が救ってやる」と言われた。 これで「いよいよやるしかない」と諦めて言われたとおりにやったら出来たんですね。 その時高良先生から、 「君心臓止まったかい」と訊かれたので、 「いや、大丈夫です」と答えたら、 「それが神経症のとらわれだよ」 「君は今まで病気じゃないのに、心臓が止まると思い込んで、ちょっと心配していたけれども、それが神経症のカラクリなんだよ」と言われたという。その時に「ああそうだ」と本当にわかったというのです。 それ以降、外出したり、普通に行動ができるようになった。この方は退院後、会社に戻って仕事について、そこで昇進して、会社が大きくなって、やがて役員になったという。 市川先生は、高良興生院には「場の力」があったという。森田療法に精通した医師が4名、その他看護師さんが3名、作業主任の方、この病院で神経症は治った人などを、集団で協力し合いながら患者さんを見守っていた。昔神経症だった看護師さんなどもいた。 市川さんは神経症は治った人たちにどうして治ったのか尋ねてみた。 すると、治るきっかけは、人それぞれで、精神科医だったり、作業主任者、看護師さんなどに言われた一言が影響していたという。 「作業主任者に言われた一言で治った」 「看護師さんにあの時に言われたのがきっかけだった」と言われるんですね。高良先生がすごいのは、どこからでも森田療法が出てくるように入院環境を作っておられたのです。 1人で治ったのではなく、集団医療体制の中で神経症を克服していった。 現代で言うコ・メディカルの実践である。 (生活の発見誌 2017年9月号52頁より要旨引用) 私の場合は、集談会に参加して、先輩のアドバイスや先輩の普段の生活ぶりを見ていて、それが神経症の克服に大いに役に立った。自分1人では、たどり着くことができないところまで連れていってくれたのは、集談会の仲間たちである。 私たち人間は弱い面がある。希望に向かって力強く生きていきたいにもかかわらず、ちょっとした壁にぶち当たるとすぐに挫折してしまう。また、人間には楽を求める気持ちが強く、人が見ていないとすぐに怠惰な生活に陥りやすい。 それに歯止めをかけてくれるのは、集談会に集まる同じ神経症を持った仲間たちである。 仲間たちの交流で叱咤激励を受けることがアクセントとなり、途中で挫折せずになんとかイバラの道を乗り切ってきたように思う。集談会に出席していても、自分の求めることが得られず、がっかりして帰ることは確かにあると思う。 しかし、そんな時にでも、少しずつ参加者同士の絆は深まっている。知らず知らずのうちに大きな影響を受けているのだ。それが神経症克服の後ろ盾になってくるのだ。そういうバックボーンを持とうとしない人はどうも治りが悪いようだ。 学習効果があまりないと感じられるときは、温かい人間関係の中に身をおいていることこそ森田療法だと思って継続して集談会に参加してほしいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.09.21 06:30:05
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