カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
森田先生の入院森田療法を受けられた早川章治さんの言葉である。
「事実唯真」は、最も多く揮毫された先生の言葉と思われるが、科学者としての森田先生の物の見方、考え方、言動などのすべての生まれる根源を示している言葉のように感じられる。 この言葉の本当の意味は、日常の生活体験を通じて理解されるようになれば、すなわち森田神経質のいわゆる全治であると言えるかもしれない。 晴れた日はさわやかであり、雨が降ればうっとうしい。桜の花は美しく、毛虫はいやらしい 腹がすくとひもじく、美人の前では恥ずかしい、これを「柳は緑、花は紅」という。 森田先生はこんな調子で話をされた。そのあるがままであることが大切である、と言われる。 こんな時、患者の誰かが、先生、それではあるがままにしていればよいのですね、と念を押すと、それを僕に問うてはいけない。そうですか、なるほど、と頷けばよろしい。 このリンゴは赤い、と僕は事実を言っている。 これに対して、先生、それでは赤いものはリンゴですね、と言ったら、誤りである。 赤いものといえば、トマトも赤いし柿も赤い。 この辺の意味が、入院患者にはなかなか理解が難しいようであった。 神経質の症状は病的異常のものではないから、治すに及ばない。 そのあるがままであることが大事だと先生は教えられるのだが、患者は症状を治そうと焦るために、あるがままになろうとするわけである。 「かくあるべしという、なお虚偽たり。あるがままにある、すなわち真実なり」と言うのも森田先生の有名な言葉である。(形外先生言行録 189ページより引用) 森田先生は現実、現状、事実に立脚した生活態度を身につけることを、ことのほか重要視されている。 その反対は、 「かくあるべし」を前面に押し出した生活態度のことを言う。 なぜ「かくあるべし」という生活態度が身についてしまったのか。 これについて森田先生は、 「教育の弊は、人をして実際を離れて徒に空論家たらしむるにあり」と言われている。 これは森田全集第5巻の最初に出てくる言葉である。生まれてきてからずっと、 「かくあるべし」教育を受け続けてきたと言われるのである。 人間は「かくあるべし」で骨の髄までがんじがらめに縛り上げられているという事を憂慮されている言葉である。 人間は、言葉という便利なものを作り出した。 そのおかげで、過去のことや未来のこと、抽象的なこと、複雑なことなどを自由自在思考するようになった。そのおかげで人間は今日の高度な文明を築き上げることができたともいえる。 しかし、その半面で、それにあぐらをかいて、現実、現状、事実を軽く取り扱い、頭で考えたこととそれらが矛盾する場合、頭で考えたことを優先するようになった。 それが、人間が葛藤や苦悩を抱えるもとになった。人間の不幸の始まりとなった。 森田先生は、頭で考えたことを最優先するような生活態度は間違いである。 どんなに問題があり、頼りなげであっても、現実、現状、事実にどっしりと根を下ろして、常にそこから出発するという生活態度に立ち戻る必要があると言われている。 「事実こそが真実であり、人間が生きていく上での出発点とすべきである」という森田先生の考え方は、けだし名言である。 これが森田理論の核心部分の考え方であり、 1人でも多くの神経質者がその生き方を身に付けることが肝心である。 早川さんの言われるように、この部分が身につかないと、本当の意味で神経症は治らない。 逆に言うと、この部分が真の意味で理解できるようになると、その人は神経症が治るだけではなく、その後葛藤や苦しみが激減して素晴らしい人生が待っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.11.12 06:30:08
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