カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
「お前はほんとにバカだね」と言われると頭にくるという人は多いと思います。
けんかを売られているように感じてすぐに応戦する人もいるかもしれません。 そこまでしなくても、心の中では、「そういうお前は何様なんだ」と反発します。 「バカ」「バカ者」という言葉は、一般的には相手を軽蔑する言葉です。 これに対して、北野武さんによると、芸人の世界では褒め言葉になるという。 「こんなバカ見たこともないよ」という言葉は最上級の褒め言葉になるという。 「たけしは相変わらずバカだね」と言われると、つい「ありがとう」といってしまう。 また北野さんが育った東京の下町では、「おい、このバカ、元気か」などとあいさつ代わりの言葉であるという。「大丈夫か、バカ野郎」「久しぶりだな、バカ野郎、何やってたんだよ」「バカだね、この人は」「もう本当にこの人はバカで困っちゃう」・・・・。 北野さんにとっては、「バカ野郎」という言葉は、相手を侮辱する言葉ではなく、親愛を込めて使う言葉であるという。「おまえ」とか「あなた」という別称である。 いつもその人の動向が気になり、何かあると、すぐに駆けつけて何かしてあげたいと思わせるような人のことである。母性本能をくすぐり、放ってはおけないと思わせる人。 つい思わず身の周りの世話をやきたくなるような人のことである。 そういうオーラを身にまとっている人のことをいう。 気を付けたいのは、バカの中には本当のバカがいることだ。 たとえば、すぐに逮捕されるのが分かっているのに、飲酒運転で、ひき逃げ事故を起こして、そのまま逃げてしまうような人。出張費をごまかして、飲食代やギャンブルに使っている人など。 最近も政治家が汚職事件を起こしながら、私は無実だなどと責任逃れの発言を繰り返している。 自分のしたことを、ごまかす。隠ぺいする。いいわけをするような人だ。 自己保身、自己中心的な人のことである。そんな人はテレビで毎日のように見かける。 こんなバカは、北野さんの言うような、親しみが持てるバカとは対極にある人だ。 北野さんの言う親しみの持てるバカを自分なりに分析してみた。 ミスや失敗を隠さない。むしろそれを周囲の人を喜ばす貴重なネタとして活用している。 弱点や欠点もあればこれ幸い、おもしろおかしく脚色してユーモア小話として提供する。 自分が笑いものにされるかもしれない。損をするかもしれないということに頓着しない。 それが分かっていても、積極的に開示する。そういう体質が身についている人だ。 いわば風通しのよい家に住んで、窓を全開にしているようなものだ。 良寛さんに「裏を見せ表を見せて散るもみじ」という句があるが、生き方自体がまさにそんな感じなのだ。すると、周りの人は、「あいつは救いようのないバカだね」と笑い飛ばす。 笑い飛ばしながら、「自分はあいつよりはまだましなほうだ」とすこし優位に立ったような気持ちになる。そういう人が周りにいると、磁石のプラスとマイナスが自然とくっつくように親しくて和やかになる。精神的に楽な生き方ができるようになる。 それは自分が、その人の影響を受けて自己防衛のバリアを取り払うことができるからだと思う。 言い訳や弁解、隠しごとのない生き方は、事実本位の生き方となる。 それがいかに精神的に楽な生き方になるか、自分自身で検証してみようではありませんか。 (バカ論 ビートたけし 新潮社 参照) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.01.20 06:20:06
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