カテゴリ:森田理論の基本的な考え方
森田先生の話です。
近頃、フランスのアランジーという人の書いたものを、桜沢という人が訳して、「西洋医学の没落」と題した本が出ているが、西洋医学を分析医学と名付け、一方を綜合医学といって(ごく適切の名称とは思わぬけれども)、西洋医学を攻撃し、漢方医学などを称揚してある。 しかし物事には必ず、利害・得失の相伴うもので、その弊害のみを見て、論を立てる場合には、両方ともに迷妄・弊害のある事は当然のことである。 真の識者は、その両方の有効なところを正しく観察・批判することができるのである。 (森田全集第5巻 211ページより引用) 森田理論の両面観の話である。 調和やバランスを意識するということですが、森田では重要な学習項目となります。 私は以前に五十肩になって、整形外科にかかった。 テレビにも出たことのある有名な医者であった。 何回通っても治らないので、漢方や針きゅうを併用することを尋ねてみた。 その先生は、漢方や針きゅうのことは知らないと、それらの治療を拒否した。 というより、そういう治療をしても治らないと即座に否定した。 現代医学の最先端の治療をしているのだという自負が強かった。 そんなことを言うのならここには来ないでくれといっているように感じた。 私はいつまでたっても治らないので、通院を止めて、針と整体に変えた。 自由診療で治療費が高くついたが、1年ほどで完全に治った。 今思うとその先生は患者目線に立っていないのではないかと思った。 西洋医学の大家かもしれないが、視野が狭く、態度が横柄で不愉快であった。 患者の痛みを取ろうとすれば、西洋医学に加えて、整体や針きゅうのことも研究するのが、信頼される医師ではないのか。自分がそこまでは手が回らないというのならば、ネットワークを組んで信頼される鍼灸師を紹介ぐらいはしてもらいたいものだ。 西洋医学に偏り、決められたことしかしないというのは、いかにもバランスが悪いと思う。 そういう人は、得てして患者を見ることはしないで、一心にパソコン画面と格闘している。 まさにその医者がそうだった。タイピングスピードを自慢しているかの如くである。 その後変わったことはありませんか。 そしていつもの薬を出しておきましょうというのが口癖だった。 長い時間待たされて2分から3分ぐらいで診察は終了である。 患者はもっと自分に顔を向けて話しを聞いてもらいたいと思っている。 朝まで生テレビの司会者の田原総一朗氏を見ていると、議論する場合、まるきっり見解の違う人を呼んでいる。そして意見を戦わせる。時にはけんかに発展することもある。 しかし真実は、その相対立する意見を戦わせることで、自然に浮かび上がってくるようだ。 森田理論学習では、両面観は特に2つの面で役に立つ。 一つは神経質性格の特徴です。 神経質性格は、消極的で引っ込み思案、悲観的に物事をとらえやすい面がある。 そのようにネガティブに考えていると、お先真っ暗になる。 親を怨むようになる。なかには性格改造に取り組む人まで出てくる。 神経質性格の学習をすると、この性格はたぐいまれなる優れた特徴を持っていることがわかる。 それを自覚して、もともと備わっていた神経質性格を生活や仕事に活かしていくことが、自分の進むべき方向だとはっきり分かってくるはずだ。 もう一つは、不安の裏には欲望があるということです。 私たちは神経症の蟻地獄に陥った時、不安、恐怖、違和感、不快感ばかりに振り回されていました。森田理論学習のおかげで、その葛藤や苦しみの裏には必ず大きな欲望がある事がわかりました。欲望と不安はあざなえる縄のようなものだと学びました。 不安にばかり偏った生活は間違っている。生の欲望をまず優先させていくことが肝心であることがわかりました。その際、欲望が暴走しないように不安を活用していくことも学びました。 不安と欲望は、車のアクセルとブレーキの関係にある事が理解できました。 神経症に陥った時は、欲望の発揮が蚊帳の外になり、手段の自己目的化が起きていることが理解できました。これが理解できれば、目指すべき方向性がわかりました。 あとは生活や仕事に応用していけばよいのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.04.24 07:38:46
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