カテゴリ:行動のポイント
長谷川洋三氏のお話です。
森田先生は、「従順」と「盲従」とを峻別している。 「従順」とは、気がすすまないが、とにかく必要なことはやる、あるいは半信半疑だが、一応はいわれたとおりにやってみるという態度である。そこには批判精神が働いている。 これに反して「盲従」とはこの批判精神が働かず、唯々諾々と、「右を向け」と言われれば何の疑問もなく何の疑問もなく右を向き、「左を向け」といわれれば左を向くといった態度であって、森田先生はこの盲従的態度をきびしく戒めている。 最近の言葉でいえば、「従順」には主体性があるが、「盲従」には主体性が失われているのである。(生活の発見誌 11月号 20ページより引用) 「従順」も「盲従」も行動することは同じなのだが、この2つは月とすっぼんだといわれているのである。その違いをはっきりさせておこう。 普通は実践・行動することで、物事の方に注意や意識が移っていく。 そして気づきや発見がある。興味や関心が深まっていく。 工夫やアイデアが浮かんでくる。 それが弾みとなって、やる気が湧き上がってくる。 最初は他人から指示された事であっても、イヤイヤシブシブ取り組んでいくうちに、感情が動き出してくるのである。感情が変化して動き出してくると、主体性の発揮につながる。 主体性の発揮がきっかけとなり、新たな行動へとつながっていく。 盲従の場合は、指示されたことだけを早く仕上げて、自分の手から離したいという気持ちが強い。指示されたことをとにかくやってしまえば、何も問題ないでしょうという気持ちが強いのです。その結果が不十分で問題だらけだろうが、本人は馬耳東風なのです。 どこまで行っても、主体性の発揮とは無縁なのです。 これでは感情は動き出さない。実践や行動によって、元の感情を速やかに変化させて、流していくという目的から見ると、これは大きな問題ということになります。 従順というのは、最初は相手の指示に対して反発しています。 どうして私がやらなければいけないのか。 他の人に頼めばよいのにという気持ちがあることも多い。 それこそイヤイヤシブシブ引き受けて行動するということになります。 考えてみれば、人生の三分の一を占めているといわれる仕事もそうですね。 最初から仕事が面白くて仕方がないという人は、ほとんどいない。 その証拠に高額な宝くじが当たれば、すぐに退職したいと思っている人が多い。 これが普通の状態であり、何ら問題はないのです。 問題はこの先にあります。 イヤイヤ引き受けた仕事に対して、ものそのものになって取り組んでみたかどうかが問われることになるのです。仕事でいえば、大きな不具合や問題が生じて、それを解消するために必死になって取り組むようなことがあります。こういう状態になると、感情が動き始めます。 気づきや発見、工夫やアイデアが泉のようにこんこんと湧き上がってくるようになります。 不具合や問題が生じなくても、主体的に取り組むことで、感情は動き出します。 森田理論は、物事を観察することで、感情が生まれ、その感情を速やかに流すことを目的としている理論なのです。特に不快な感情はそうして解決していくのです。 谷あいの小川を勢いよく流れる水のごとくです。 これがお城に停滞している水のような状態になると、汚く濁って雑菌がはびこってしまいます。 これが神経症を引き起こす大きな原因となっているのです。 最初はイヤイヤ仕方なしの行動で何ら問題はありません。 それがむしろ普通の状態です。問題はその先にあります。 森田先生の言葉に、「ものそのものになってみよ。天下万物すべて我がもの」というのがあります。どんなに気が進まない事であっても、一旦は時間を忘れるくらいの気持ちで取り組んでみることが大切なのです。その方向を目指していると、自分の人生はとても味わい深いものに変わっていくのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.11.02 11:41:20
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