カテゴリ:神経症の成り立ち
神経症でのたうち回っているときは、次のような状況に陥ります。
相手が悪いと思えば、腹が立ちます。不満や怒りでいっぱいになります。 自分が悪いと思えば、自己嫌悪、自己否定で苦しみます。 自分は何もできないと思えば、無力感でやるせなくなります。 他人と自分を比べていると劣等感で苦しむことになります。 こうでなければならないと思えば、思惑とは反対のことが多くなり、葛藤や苦悩でイヤになります。気分に振り回されていると、暇を持て余すようになり、生きることがむなしくなります。 これらはすべて神経症で苦しんでいた時の私のことです。 生きていても何も楽しいことがない。自分は苦しむために生まれてきたのか。 自己否定、他人否定、他人との対立、専守防衛、無気力、無関心、劣等感の塊のような生活でした。苦しいばかりでは精神的につぶされてしまうと感じていました。 それらから逃れるために、本能的、刺激的、刹那的、享楽的な事に手を出していました。 アルコール、ギャンプル、趣味、風俗、スポーツ、ネットゲーム、グルメ、旅行、買い物などでストレスを発散していました。そうしないと生きていけない感じなのです。 でも対症療法は、ますます自分を追い詰めていくだけでした。 最悪の時は、精神的に普通ではないという自覚がありました。 テレビを見ていても上の空、座れば立つ、立てば座る。 とにかくそのあたりをうろうろして落ち着きがなくなりました。 うつ病か精神障害の一歩手前という感じです。 仕事、職場の人間関係は最悪。家族の人間関係もバラバラ。 これを解消するには、もはや死ぬしかないなと考えていたのです。 精神科に通い薬物療法を受けていました。でもほとんど効き目がありませんでした。 ショックでした。今考えると、神経症を薬物療法で解消しようとしていたのは虫がよすぎたと思っています。転機になったのは、30代後半で出会った、森田理論、生活の発見会、集談会でした。最初は毎週土曜日に、「土曜読書会」というのがあり、1年くらいは通いました。 カウンセリングのようなものです。そこでは悩みや愚痴をよく聞いてもらいました。 そこで英気を養い、次の1週間を何とか乗り越えるという状態でした。 そこには、私と同じように精神的に追い詰められている人が5名から6名くらいはいました。 同じような人を目の当たりにすることは、自分一人ではないという安心感がありました。 自分よりも苦しんでいる人がいると思うと、なんだか分かりませんでしたが、生きる力がみなぎってくるのが分かりました。自分は会社では孤立しているが、まだまだ大丈夫と思えました。 捨てものではない。自分が自分を見捨てないかぎり、生きていけるという確信が持てたのです。 その人たちは、全員集談会に参加していましたので、私も藁にもすがる思いで参加し始めました。今考えると私の逆転人生はそこから幕を上げたのです。 その後、その人たちは、ほとんど集談会から離れていきました。 神経症を克服したのですから当然のことです。 私はスッポンのように噛みついたら離さないという執着性が強かったのです。 その後の人生は、森田理論と集談会の仲間によって大きく花開いた感じです。 人生の仕切り直しができたのです。そして今では、神経質者としての、人生観を獲得できたと確信しています。感謝以外の何物でもありません。 今度は、そのおすそ分けを寿命の尽きるまで続けるつもりです。 それがまた生きがいになっているのです。森田のことを考えない日はありません。 神経症で苦しんでいる人、神経質性格を持ち生きづらさを抱えている人は、森田理論学習をお勧めします。それも一人で取り組むのではなく、自助グループに参加して、先輩や仲間の力を借りて取り組むことをお勧めします。 近くの集談会に参加してみたけれどもダメだったという人は、集談会は全国に100か所くらいあります。自分に合った別の集談会に参加することをお勧めします。 そこでつながりができれば、その後は、オンラインを利用した交流も盛んになってきましたので、そちらの方に参加することも可能です。 とくかく今が最悪と思っている人は、そこが大底で、森田理論学習を支えにしていれば、必ず浮上してくるという希望を持つことが肝心だと思います。 そのための応援は、時間の許す範囲で、先輩会員が引き受けてくれるはずです。 どうか希望を持ち続けていただきたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.06.09 07:17:06
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