カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
三重野悌次郎氏の言葉です。
森田博士はいろんな造語を作っています。 「気分本位」もその一つです。 我々は意識するかしないに関わらず、常に安楽を求めています。 そしてこの安楽を求める気分を、行動の基準とします。 それを森田博士は「気分本位」と言って排斥しました。 人としてよりよく生きるためには、時には危険や苦痛にも、挺身しなければなりません。 いつも安楽とはいきません。 「気分本位」や観念的な「理想本位」でなく、事実に応じてなすべきことをする。 これを「事実本位」と言い、森田博士が最も重視した生活態度です。 神経質の苦しみは、この「事実本位」でなく、「気分本位」や観念的な「理想本位」によって起こるとも言えます。 この安楽を求める気分から、観念的理想を押したて、それに自分や周囲をあてはめようとする態度を、「理知本位」または「理想本位」と呼び、「気分本位」と同様に排斥しました。 「気分本位」も「理知本位」も、ともに事実に従わない「自己本位」の態度です。 (森田理論という人間学 三重野悌次郎 春萌社 96ページ) これは、森田理論を理解した人が、これから進むべき道を説明してくれています。 第一は気分がいくら行動することを拒んでも、イヤイヤ仕方なしに行動する方向で、舵をきっていくことです。特に雑事の連続と言われる日常茶飯事から手を抜くことは、注意する必要があります。仕事場へ行くことが辛いと思っても、身支度を整えて、足を引きずりながら家を出ることです。私たちは動きだす前が厄介です。大きなエネルギーを使うからです。 しかし一旦動き出してしまうと、慣性力が働き、そんなに力は必要としません。 最初に行動するときは、注射針を刺されるような痛みがありますが、その後の効果を考えて、我慢する。耐えて行動することが大切です。弾みがついてくるまでの辛抱です。 「気分本位」に流されてしまうと、後悔することが多くなります。 「理知本位」「理想本位」は観念の世界を最優先する態度のことです。 強力な「かくあるべし」を自分や他人や自然に押し付ける態度のことです。 これは人間だけにあります。 動物はできるだけの努力をして、どうにもならなければ素直に事実に従います。 言葉を使い、大脳が高度に発達した人間は、事実の世界を観念の世界でコントロールしようとしているのです。これが葛藤や苦悩の原因を作り出しているのです。 森田先生の言われている「事実唯真」の世界は、事実、現実、現状を最優先させる考え方です。 理知の力は事実をカバーしているのだと考えるようにするのです。 事実の世界を尊重して、理知の力は補助的に活用するという考え方です。 森田に「感じを優先させて、理知の力で調整する」という言葉があります。 たとえば、懇親会で腹いっぱいおいしいものを食べたい。浴びるほど酒を飲みたい。 こういう欲望があれば、大いに飲んで食べて、楽しい会話で盛り上がればよいのです。 ただし、二日酔いになるまで深酒をすると、明日1日苦しみでのたうち回ることになる。 過去にそんな失敗を何回も経験している。これが過去の事実です。 こういう苦い経験・事実を活かして、酒の量をある程度セーブするようにする。 過去の経験を活かして、調整をしていくということになります。 ここで観念を優先させると、「明日は休みだから問題はない。心いくまで飲むぞ」ということになります。そして欲望が暴走します。次の日、二日酔いで後悔することになるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.10.24 06:27:14
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