カテゴリ:「かくあるべし」の発生
次の言葉は森田先生がよく使われている言葉です。
夢の内の有無は有無ともに無なり、迷いの内の是非は是非ともに非なり 初めて耳にされる人は、禅問答のようで全く意味不明と思われるのではないでしょうか。今日はこの言葉をとりあげてみたいと思います。 神経症の治療でいえば、対症療法的な治療法では、少し良くなるように思えても、結局は治らないばかりか、ますます混迷の度を深めていく。 骨折り損のくたぶれもうけとなることになる。 「毫釐(ごうり)の誤り千里の差を生ず」という言葉も同じような意味です。 目の前に2本の道があって、もしその選択を誤れば、目的地とはどんどん離れていく。その誤りに気付かなければ、引き返すこともできない。 お金やエネルギーを消耗して取り返しがつかなくなる。 ここで考えてみたいのは、「夢の内」「迷い」という言葉です。 あやふやな考え、短絡的な考え、早合点、思い込み、安易な決めつけなどのことではないでしょうか。 これらの反対言葉は、真実、真理、普遍的な考え、事実に裏打ちされた考え方のことではないかと思います。 なかなか真実、真理、普遍的な考えが見つからないので、あやふやな考え、短絡的な考え、早合点、思い込み、安易な決めつけに走ってしまうのかもしれません。 「幽霊の正体見たり枯尾花」という話があります。 秋から初冬にかけて、月明りの夜道を心細く一人で歩いていると、突然ガサガサと音がする。すると、幽霊が出てきて自分を追いかけてくるような気持になる。 居ても立ってもいられなくなって、町灯の方に向かって一目散に駆け出す。 慌てふためくと石にけつまずいて、ひっくり返り大けがを負ってしまう。 後日、昼間にそこを訪れてみると、ススキの穂が風に揺られて音を出していた。 一旦幽霊だと思い込んでしまうと、大変な惨事が引き起こされる。 この場合、冷静になって事実を見極めるという態度があれば、気が動転して慌てふためくことは避けることができます。 このような「あやふやな考え、短絡的な考え、早合点、思い込み、安易な決めつけ」などが問題なのですよ。 それを絶対に間違いないと信じて行動すれば、ほとんどが見込み違いとなります。 野球でいうと、150キロを超えるストレートを予想して、バットを振ったら手元で大きく落下するフォークボールだった。あえなく三振。 ワンバウンドになるような球になぜ手を出すのだといわれても、予想が外れれば、結果は自ずから分かるということです。 神経症を治すということも同様です。 薬物療法をはじめとした対症療法があります。 不安を根こそぎ取り除いてしまおうという精神療法もあります。 松葉づえ程度に活用するのはよいのですが、それらを神経症治療の第一選択肢とするのは如何なものか。 もっと神経症の発生原因に目を向けたほうがよいのでありませんか。 神経症的な不安は欲望の裏返しとして湧き上がるものだということが理解できればその後の展開は大きく違ってきます。 不安の特徴や役割、不安と欲望の関係、観念優先で事実軽視の態度の弊害を理解して対策を立てることが肝心です。 神経症治療は森田療法が一番だというつもりはありませんが、少なくとも森田療法はあらゆる治療法を消去法で取り除いた後に、最後まで生き残った治療法であるということに思いを馳せていただきたいと思います。 だから森田療法は100年以上も生き残っているのです。 森田理論の考え方は、今後の人類史を左右するような内容を持っているのです。 現在は表面的には風前の灯火のような状態ですが、いずれ復活すると考えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.04.28 06:30:47
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