カテゴリ:森田番外編
高知競馬にハルウララという牝の競走馬がいた。
成績は(1998年11月デビュ、2006年10月競走馬登録抹消まで)113戦0勝。2着5回、3着7回。生涯獲得賞金は112万9000円。 高知競馬では出走手当てが1レースにつき6万円支給されていた。 ハルウララは1年間20回のレースをこなし120万円は得ていた。 しかし必要経費の130万円から140万円には及ばなかった。 乗馬への転身の道もあったが性格的には向かなかったという。 ハルウララは1996年2月27日、北海道日高町の信田牧場で生まれた。 競り市では残念ながら買い手がつかなかったという。 やむなく高知競馬の宗石大調教師に委ねられた。 ハルウララは小柄で臆病な馬だった。 しかし気が小さいのにエラそうにふるまう。 また小さな音や物に飛びあがって驚くような馬だった。 1頭になると寂しがって泣きべそをかいている。 気に入らないことがあると、すぐに怒りを爆発させていた。 そしてわがままな面が強かった。 鞍を装着しようとすると暴れる。 腹帯を締めようとすると地面にひっくり返る。 さらに気分本位な面があった。 たとえば厩舎の周りを2回までは素直に歩くが、3回目は露骨に歩きたくないという態度をとる。発馬機からのスタート練習は1回はするが、2回以上は拒否する。 わがままで世話をすることが嫌になるような馬だった。 そのうえ人見知りが激しい。 なついていたのは新人厩務員の藤原健祐さんだけだった。 但しハルウララのよいところは、レースになると一切手を抜くことがなく最後まで一所懸命に走りぬくところだった。 競走馬の中には勝てないと思うと急にテンションがさがる馬がいる。 雨天や重馬場、荒れた馬場では気力をなくする馬もいる。 その点ハルウララは結果が出なくても最後まで全力で走り切る。 何度踏みつぶされても、たくましく立ち上がる雑草のような競走馬だった。 欠点は多いがなぜか憎めないお転婆な馬だった。 ハルウララが有名になったのは、2003年毎日新聞全国版に掲載、フジテレビで放映されたからである。 何度負け続けても果敢にレースに挑む珍しい馬として紹介されたのである。 これが「負け組の星」として世のサラリーマンの絶大な支持を集めた。 ノルマに追われ、人間関係で心身をすり減らしているサラリーマンの心のオアシスのような馬だったのです。 2004年3月22日の106戦目に中央競馬の武豊騎手が騎乗した。 11頭立ての10着に敗北したが、ハルウララの単勝馬券は1億2175万円を売り上げた。なおそのレースの馬券売り上げは5億1163万円で高知競馬では史上最高だった。 入場者は全国各地から集まり、入場制限を行ったという。 その武豊騎手が次のようなコメントを残している。 「強い馬が、強い勝ち方をすることに、競馬の面白さがあると思っています。しかし、高知競馬場にあれだけのファンを呼び、日本全国に狂騒曲を掻き鳴らした彼女は、間違いなく名馬と呼んでもいいと思います。彼女は間違いなく、ファンの心を大きく揺り動かしたスターでした」 ハルウララは新聞やテレビで報道されなければ陽の目を見ることはなかったでしょう。きっと市井の競走馬として忘れ去られる存在だったでしょう。 でも何が幸いするか分かりません。 連戦連敗でも人の心をつかむことができたのです。 能力面や性格面で多くの問題点を抱えながらも、黙々とレースに臨むハルウララはなぜだか精一杯応援したくなる馬です。 成績なんか関係ないといった感じです。 結果は出なくても、腐らずにレースに出続け、懸命に走る姿に多くの人が共感と感動を味わうことができたのではないでしょうか。 ハルウララが伝えたいことは、能力や性格に問題を抱えていてもよい。 神経症や人間関係に問題を抱えて、不器用な生き方であってもよい。 一番大事なのは、そのままの自分で精一杯生き切ることだ。 ところで、水谷啓二先生は「平凡に徹して平凡を10年20年と続けていけば、きわめて非凡な人間になれる」と言われています。 これはまさにハルウララのような生き方のことを言われていると思います。 我々神経質者はハルウララのような凡事徹底の人生を全うしたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.19 09:36:27
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