カテゴリ:生の欲望の発揮
7月号の生活の発見誌に長谷川洋三氏が「努力即幸福」について説明されている。
これは「努力すること」は裏から見れば「幸福な状態である」ということだ。 「即」というのは、「すなわち」と置き換えるとよく分かる。 表から「努力している状態」は、裏に回ってみると「幸福にみえる」ということだ。 普通に考えると、努力して目標を達成した時が幸福な状態ではないかと考えがちです。 努力している段階は、目的が達成できるかどうか分からないので、不安の方が強いのではないのか。 不安が強い状態は不幸な状態だと考えがちです。 確かに目標を達成するとそのとき喜びはあります。 しかしその歓喜の感情は、一山登った状態から衰退する運命にあります。 その歓喜を長い時間味わってみたいと考えたところで叶うわけではありません。 努力している状態は目標や課題に向かって、ものそのものになり切っている状態です。ハラハラドキドキしていますが、気持ちが外向きになっています。 気づきや工夫や新しい発見やアイデアがコンコンと湧き出ている状態です。 注意や意識が目標に向かって集中していて迷いがありません。 この不安定な精神状態のときが、目的を達成して歓喜した時よりも、よほど精神的には幸せで安定しているということだと思います。 人間の生き方としては、不安を抱えながら、課題や問題点、目標や目的を意識して、それに向かって一心不乱に努力しているときが一番幸せであるということだと思います。 気分本位の態度になると、しんどいことはパスしたい。めんどうなことからは逃げたい。 イヤなことは敬遠したい。予期不安が湧き上がってくることは避けて通りたい。 努力しないと達成できないことは、最初から手を出さない。 現状にある程度満足しているのなら、そんなに無理をしなくてもいいのではないか。 世の中に楽しいことや刺激的なことはいくらでもある。 その場その時の快楽を追い求めていくほうがよほど魅力的である。 努力することを忘れて、その場しのぎの快楽を探し求めてさまようことになります。 本能のままに快楽に身を委ねることばかりに注意がいくようになります。 しかし四六時中そういう姿勢で生活するというは何か違和感があります。 そもそも快楽追及に偏った生活の喜びは長続きしません。 カンフル剤的な効果はありますが、賞味期限は極めて短いものです。 それよりも、はずみがついて、欲望が暴走する方が問題です。 快楽追及一辺倒になると疲れてきます。そして虚しくなってきます。 そのエネルギーが行き場を失うと、自己内省するようなことになります。 ここでの自己内省は、良い意味での内省ではありません。 自己嫌悪、自己否定するようになるのです。 自分が自分を傷つけてしまうことは最も不幸なことになります。 「努力即幸福」という言葉は、本来の人間の生き方を提示しています。 ![]() 田舎にある小さな天文台 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.08.22 07:11:50
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