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幸恵が倒れた。
俺の腕の中で。
震えが止まらなくて、抱きしめていたのに。
気を失って、眠ったように穏やかな顔。
このままそっと寝かしておきたい。
不安そうな顔を見るのは切ない。
いつまでも待ってると言ったけど、
俺自身だってそんなに強いわけではない。
ただ、幸恵を守ってやりたいから、
強くありたいとは思う。
このまま二人で眠り続けられたらと
不埒なことまで考えてしまう。
幸恵を抱きかかえながら、
俺まで、途方にくれていた。
幸恵が急に起き上がった。
不思議そうな顔で俺を見る。
「あなた誰?」
またあの女になったのか。
「さっき、恋人を探してた男ですよ。」
「そんなの知らない。」
今度はまた別人格か?
「あたし、なんでここに居るの?」
「さあね。」
どう対応していいか分からないが、
やけに子供っぽい。
「お兄ちゃんが連れてきたの?」
「違うよ。」
あやうく誘拐罪になるところだ。
「じゃあ、なんでここに居るのかな?」
「しつこいな。どうでもいいだろ。」
つい邪険にしてしまった。
「お兄ちゃんのいじわる!えーん・・・」
急に泣き出すから、始末に終えない。
「ごめん。悪かった。」
と慌てて謝ると、
「う・そ!」と舌を出した。
「こいつ、嘘泣きか。」
頭を軽くコツンと叩いた。
「痛いよ。だって、
お兄ちゃん構ってくれないんだもの。」
頭を大げさに抱えながら訴える。
結構可愛いな。
幸恵の子供の頃って、こんな感じだったのかな?
黙って見てると
「じっと見てると気持ち悪い。」
と言われてしまった。
「そうだな。」
「そうだよ。」
拗ねて、突き出した唇が誘ってるようにも思える。
ここでキスしたら、ロリコンかな?
ある意味いろんな幸恵に会えるというのもいいかも。
こんな考えは不謹慎かもしれないが。
「何考えてるの?」
子供らしくない質問だな。
「何も。」
素っ気無く答えた。
「ふーん。お兄ちゃん、恋人居るの?」
「なんでそんなこと聞くんだ?」
「だって、さっき恋人探してるって言ってたじゃない。」
「よく覚えてるな。」
「子供は大人より記憶力いいんだよ!」
やっぱり自分は子供だと思ってるんだな。
「そうか。それはすごいな。」
頭を撫でると、ニコッと笑った。
「私ね、詩を言えるんだよ。」
得意そうに胸を張った。
「何の詩だ?」
「学校で習ったんだけど、
草野心平っていう人が書いた
『秋の夜の会話』の詩だよ。」
「本当に言えるのかい?」
「本当だよ。聞いててね。
『さむいね
ああさむいね
虫がないてるね
ああ虫がないてるね
もうすぐ土の中だね
土の中はいやだね
痩せたね
君もずいぶん痩せたね
どこがこんなに切ないんだろうね
腹だろうかね
腹をとったら死ぬだろうね
死にたくはないね
さむいね
ああ虫がないてるね 』
終わり。」
「すごいなあ。全部言えるんだ。」
「お兄ちゃん知ってるの?」
「知ってるけど、言えないなあ。」
「本当はね。この人の
「春の歌」が
教科書に載ってたんだけど、
先生がこの秋の詩も教えてくれて、
あたしはこっちの方が好きになったんだ。」
「春の方が明るくていいんじゃないか?」
「だって、秋の方が泣けるんだもん。」
「泣けるのかい?」
「よくわかんないけど、
涙が出そうになるんだ。
でも、もう泣かないけどね。」
「なんで泣かないの?」
「だって、泣いたら負けじゃない!」
急にむきになった。
「そんなことないよ。」
「泣いてもいいの?
ママは泣くのは弱虫だって言ってたよ。」
「人前で泣くのは恥ずかしいかもしれないけど、
一人で泣く分にはいいさ。」
「お兄ちゃんも泣くの?」
「ああ泣くよ。一人の時はね。」
「ふーん。男の人も泣くんだ。」
「そうだよ。男だって弱いからね。」
なぜか、リトル幸恵の前では素直になれる。
いつもは幸恵に弱さなど見せたくないのに。
それにしても、幸恵は子供の頃から、
こんな哀しい詩が好きになるほど、
辛い思いをしてきたのか。
可哀想になって、抱きしめたくなる。
だが、子供だと思うとかえって出来ない。
つぶらな瞳で見つめられると辛いな。
「お兄ちゃんも覚えたら?」
「教えてくれるのか?」
「いいよ。
泣きたいときはこれを言うと、
かえって泣かなくて済むんだ。
お兄ちゃんもそうしなよ。」
そんなこと言われると、
かえって涙が出そうになるじゃないか。
幸恵と一緒に口ずさみながら、
詩を覚えた。
「そういえば、名前はなんていうんだ?」
「さっちゃん。」
「さっちゃんか。」
幸恵の愛称だろうな。
「そういえば、
『さっちゃん』の歌があったよな。」
「うん。あたしあれも好きなんだ。
なんかあたしのことみたいでしょ。」
「幸子っていうのか?」
「ううん。幸恵だけど、さっちゃんって呼ばれるほうが好き。」
「じゃあ、さっちゃんって呼ぶよ。」
「お兄ちゃんの名前は?」
「信吾だけど、信ちゃんでいいよ。」
「信ちゃんか。でも、お兄ちゃんでもいい?」
「なんで?」
「あたし一人っ子だから、お兄ちゃん欲しかったんだ。」
「そうなのか。甘えん坊だな。」
幸恵は今でも俺にそんな感じだからな。
それにしてもいつまでリトル幸恵で居るんだろう。
連れて帰るにしては、誘拐みたいになっちゃうし。
そんなことを考えてるうちに、
幸恵はあくびをしだした。
さっきも眠ったのに、この病気は眠たくなるものか?
それとも子供だから、夜になると条件反射かな。
「お兄ちゃん、眠たいよ。」
「いいよ。寝ても。」
「だって、おうちに帰らないと。」
「お兄ちゃんがおんぶして連れて帰ってあげるよ。」
「おうちどこか知ってるの?」
「知ってるから大丈夫だよ。」
「そうなんだ。じゃお休みなさい・・・」
語尾が消えるように眠りについてしまった。
また起きたら、別人格になってるのかな。
幸恵をおぶって、レンタカーに戻った。
昨日といい、今日といい、
千倉の海は、鬼門かもしれないな。
ここだけではなくなるかもしれないが。