入間おやこ劇場に来ていた招待券で、
劇「無実」(東京演劇アンサンブル)を観にいきました。
武蔵関のブレヒトの芝居小屋は何度も行ってるから慣れましたね。
なんて先日は急行とかに乗って乗り過ごしてしまったので、
今回は気をつけましたが。
割とギリギリに着いたので、席を取ってから、
ロビーでチョコパンを買い、客席で食べました。
客席でも飲食自由と言われたので。
前から2列目の端の席でよく見えました。
2時間半休憩無しで、お尻が痛くなってしまったけど、
いつも寝てしまう私が眠くならないほど引き込まれました。
群像劇で誰に感情移入できるというわけでもなく、
哲学的なセリフも多くて難解だけど興味深かった。
また、脚本家のデーア・ローアーは男性だと思うが、
たとえ子どもが犯罪者になるかもしれなくとも、自分をお母さんと呼んで愛してくれる子どもが欲しかったり、
夫に自分を見て認めて欲しいという女性の心理がよく分かっているなあと思ってしまった。
翻訳家や演出家も?
調べたら
デーア・ローアーは女性でした。だからこんなにわかるのですね・・・
ブレヒトの後継者とも呼ばれてるほど現代社会をスリリングに描くらしい!
初日のせいか、少しセリフを噛んだりした時もあったけど、
あまり気にならないほどいろいろ考えさせられた劇でした。
盲目のダンサー、アプゾルートがセクシーで魅力的でしたね。
アプゾルートは完璧という意味。
彼女の両親も盲目で、暗闇の世界が完璧だと信じ、
遺伝的に娘も盲目になるとわかっていながら、完璧を求めて産んだのです。
アプゾルートは見えるようになることを切望しながらも、
実際にエリージオのおかげで手術を受け、ぼんやりと見えるようになってもそれを拒否して
また完璧な暗闇の世界に戻ろうとしている。
不法入国者の貧しい黒人エリージオが拾ったお金を投げ出して受けた手術だったのに。
神の救いと受けとったエリージオと、神や奇跡は信じないというアプゾルート。
せめて見えるようになると祈って欲しいというエリージオの願いも虚しく、
またストリッパーに戻っていくアプゾルート。
また、連続殺人犯の母親と名乗るミセス・ハーバーザットは、
被害者遺族宅に許しを乞うて回るが、
実は死産で子どもを喪った母親、、、
私の体は死んだ子どもを入れる棺と言う。
たとえ犯罪者になろうとも、私をお母さんと呼んで求める子どもが欲しかったと。
そして失業中のフランツの妻ローザも子どもを産みたがっている。
夫が自分を通して遠くを見てる。子どもが生まれれば鏡のように自分を見てくれると。
せっかく遺体処置係の仕事が見つかり、子どもも産めると思ったのに、
彼は死体ばかり見て、引き取り手の無い遺骨まで狭い自宅に持ち帰り、
ますます自分を見てくれない。
ローズの母ミセス・ツッカーは、糖尿病の自分を介護させる為に孫は要らないとまで言う。
赤い髪の女性の入水自殺者を救えず、自責の念に苦しむ不法入国者の黒人ファドゥールが、
新聞記事の写真を持って、遺体処置係のフランツ宅を訪ねると、
写真にそっくりな妻ローザに驚く。
実はその自殺者こそローザで、亡霊だったのだ。
フランツは妻の遺体を見ても知らないふりをして、無縁墓地に葬らせていた。
縁の無い人の遺骨は引き取っていたのに。
夫が自分を見てくれないと嘆くのはローザだけではなかった。
老いゆく女性哲学者のエラも、金細工師の夫ヘルムートが、
会話も無く、自分に目もくれない夫をついには殺してしまう。
アフリカのスーダンから不法入国したファドゥールは、
ドイツで自殺者が多いのに驚いていた。
祖国では内戦でハエのように惨めに死んでいく中、みな必死で生きようとしているのに。
なぜ生きられるはずのドイツで、自ら死を選ぶのかと。
それは日本も同じですよね。
私はいつもうちの子ども達に自殺だけはしないでと言ってはうるさがられているけど、、、
「死ぬのはいい気分じゃないだろ、生きているうちに何も残さないなら、
死んだら何も出来ないなら、生きているうちに残していく以外に!」
(セサル・バジェーホ「窓が震えた」)
生きていることが辛くても、いつかはいいことがある、
そう思える日が来ることを信じたい、信じて欲しい。
神を信じなくても、人間が信じられなくても、
夜明けが来ることだけは信じて欲しいですよね。
明けない夜は無いのだから。
いろいろ考えさせられる劇でした。