陸前高田で奇跡の一本松を見た後、
釜石で現地のボランティアガイドさんから震災の話を聞きました。
釜石駅前の広場で、近代製鉄の父である盛岡藩士の大島高任の説明なども。
近代製鉄発祥の地の釜石で、日本最古の製鉄所である新日鉄釜石製鉄所。
今は高炉が廃止されてしまったそうですが・・・
震災の時、一部損壊するも、少し高台なので駅前が津波で水没した時も冠水しなかった・・・
バスガイドさんがその時の写真を持ってみせてくれたのですが、
私が後で買った「平成の三陸大津波」の写真集にも同じ写真が載っていました。
避難道路下の建物。1・2階が破損したままです。
高台の津波避難道路への階段。
手すりは震災の時に破損したまま・・・
高台の避難道路から見た釜石市街。
上の写真の右の高い建物が、下の津波の写真の右側の建物です。
この避難道路から撮影したもの・・・刻一刻と津波が迫ってくるのが分かります・・・
1・2階は津波で押し流され、向かいの建物の青い印まで津波が到達したらしい・・
1階が駐車場だったために原型を留めていたビル。他は流され、更地のままになっている・・・
今は穏やかに見えるけれど・・・防潮堤も造り直しているらしい。
- 下から見た避難道路。昭和三陸津波の後、3人の地主が土地を提供して、
高台に避難道路を作り、そこに避難するようにしていたそう。
それでも、津波警報が出ても3mだからと避難しない人が大勢居たので、津波が押し寄せるのを見て
避難した人たちが避難道路の上から、下に向かって「早く逃げろ」と叫んでいたらしい・・・
- 少しだけでも高くなってる家は無事だったそう。左は添乗員のSさん。
生存率99・8%「釜石の奇跡」の教訓。「津波てんでんこ」の教えの正しさ!