小説「嵐吹く時も」(三浦綾子)を上下一気に読んでしまった。
あらすじ:明治末、天売・焼尻島を眼前に望む北海道・苫幌村の唯一の雑貨屋は、鍋や釜に文具やパン、そして衣類まで幅広く商品を取り扱い、大番頭、中番頭に小僧たちの他、奥向きの手伝いの女性をも抱えた大きな身代の商店。佐渡出身の実直な商人中津順平が身ひとつの行商から興した店だった。14歳下の妻のふじ乃は美貌と持ち前の陽気な性格と気風のよさで店を側面から支え、娘の志津代はまだ幼かったが可憐に賢明に成長しつつあった。
順平が佐渡への里帰りで留守にしていた夜だった。
志津代は、庭から出て行く男を見た。そして、月を経て、ふじ乃は男の子を出産した。やがて中津家の人々の人生は、大きく暗転しはじめるのだった。三浦文学の源流とも言える自身の祖父母とその一族をモデルに人生の輝きと儚さを描く傑作長編。
不倫の子・新太郎を出産する奔放なふじ乃だが、ずっと罪の意識に苦しんでたと言う。
その新太郎も甘やかして育て、わがままにしてしまうが、北村に出会って改心?する。
あまりにもいい人になって信じられないけど、実は順平の子だったとわかる。
でも、それが順平と同じほくろが同じ場所にあるからという理由では信憑性はないよね。
当時はDNA鑑定とかできなかったのだろうけど。そう信じたいのかも。
人は誰でも過ちを犯すもの。それを許すことが肝要というテーマらしい。
妄想や疑心暗鬼に囚われてしまうけど、許すというのは難しいですよね。